昨日書いた、様々なことを忘れていくということ、を、別の視点から友人が書いてくれたもの。

「しっかりとしている自分」に対してのわたしの執着が今までとても大きかったので(これも多分、終わってゆくと感じているけれど)昨日は「悲しいな」という感情を吐露した感じの記事になったかもしれない。

ただ、実は、一言でさらりと書くには複雑な、自我が薄くなっていくこと、その中でなお、立ち上がる自己があること、そのバランスを生きること、といった、個と全体性の重なりについての自分の感覚と経験の一端を書いてみたかったのもある。

わたしが書けなかったことを、別の角度からこうやって表現してもらえることは、本当にありがたい。

あ、連動しているな、は勝手な自分の感覚で、彼と示し合わせたことは何もないし、彼はこちらのことなど何も知らないかもしれない。

でも、彼の言葉で言うところの「自他の境界線が薄くなり」「開いている」と、同時多発的にこういうことが起こる。

わたしの気づきは誰かの気づきで、逆もまたしかり。

自分のためでありながら、どこかの誰かのために、とどこかで思いながら書いている。

人生を旅する以上、先達や仲間の経験や視点はとても頼もしいもので、わたしもそれに何度も助けられてきた。


こういう見えない精神構造みたいなところを、文章で切り取るのは本当に難しい。

悲しいとは書いたけれど、同時に全く悲観はしておらず、悲しい感情が自分の中にあるのを眺めている感じだ。

みたいなことを、そのまま伝わるように書くのはなかなか難儀なので、セッションセミナーお話会なんかで折に触れお話ししているのだけど。


こういった活動も、様々なひとのエネルギーに触発されて内から起こってくる運動の一つとも言える。

問いがなければ、答える動きもない。

けれどそれは、いつも流れの中で完璧に起こってくるのだ。

(とか書きだすと、ややこしい気がするから、あまり書かないんだけど(笑))

ありがとう、友よ。


さて、明日から一週間ほど、海外の予定です(お仕事はお休みをいただきます)。

何が起こるかな。

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