ある女性の物語。2。 | 心臓手術で機械弁を付けて身体障害者になった脳動脈瘤オペ済み橋本病の人のblog

心臓手術で機械弁を付けて身体障害者になった脳動脈瘤オペ済み橋本病の人のblog

1971年生まれ。主婦。北野武さん明石家さんまさんヲタク❤️病院ヲタク&ハロヲタ&お笑いヲタ&アニヲタ(鬼滅、ラブライブ!、ちいかわ特に好き)橋本病、めまい症、更年期障害などなどで毎日身体がしんどくてつらいです!でもがんばるます!(笑)

母親がいないからといって、弟さんに寂しい思いをさせたくないというTさんの優しさだろう。 

期せずして、そう思うことが彼女自身の大きな励みにもなっている気がする。 

東京に出てくる前は、あまり会話をすることがなかった父親とも、何でも話せる仲になったとのこと。 

以前から仕事の失敗で、借金を抱えていた父親は糖尿病をわずらって、思うように働けず、沈みこむことが多いらしい。 

それでも、Tさんの声を聞くと、明るく応対して元気になるそうだ。 

「もっと働いて、時々は実家に仕送りしなくちゃと思ってるの・・・・」と、目を輝かせたTさん。 

どうやら彼女の毎日には、挫折をプラスに変える潜在的なエネルギーが備わっているらしい。 

「やっぱり、Yちゃんがいつも見守ってくれているおかげだと思う。 
母親のことで落ち込んでいたあの時も、夢の中に出てきて励ましてくれたし、Yちゃんを通して知り合ったお笑いタレントの友達も本当に親身になって相談に乗ってくれた。だから、またすぐに元気が出てきた」 

何の疑いもなく目には見えない大きな存在に感謝するその言葉に、Tさんに働く聖なる力をひしひしと感じた。 

とはいえ、Tさんは「神の存在」とか「神への感謝」と、いったことを、ことさら意識している訳ではない。 

ただ、目の前から、いなくなった「大切な人達」を、今も思い、繋がっていようとしているだけなのだ。 

でも、それが知らない間に「神」を身近なものにし、彼女自身のたくましさと優しさを生み出しているに違いない。 


もうこの世にはいないけれど、心の中に棲み続けている「大切な人達」へのTさんの、あったかな思いが溢れていた。 

その、あったかな思いが伝わった為だろう。こちらまで満ち足りた気持ちになって、ほとんど無意識のうちに、大きくうなづきながら彼女に 

「いい話を聞かせてもらってありがとう」と、言っていた。 

とっさに何か、お礼がしたいと思った。ちょうどその時、カバンの中に 

『私はカツオブシです』 

というタイトルのオリジナルCDが入っていた。視覚障害をもったロックミュージシャンからの依頼を受けて、収録されている5曲の作詞を私が、担当したものだったが、 

Tさんに「もらってほしいものがあるから、カバンから取って!」と、言った。 

CDを手にしてタイトルに目をやった彼女は、とたんに目を輝かせて、 

「あっ!!そういえば、私も昔『せっけんになりたい』って詩を書いたのよ。周りの人達の辛さや無念を、身をもって消していきながら死にたいって意味かなぁ・・・・・・・・ 
でも、まぁ、カツオブシのほうが美味しいけどね。」 

その言葉に、またまた鳥肌が立って、思わず心の中で「こいつ、やっぱりスゴイな!」と、うなった。 

たいていの人が奇妙なタイトルの意味を尋ねてくるのに、Tさんは『カツオブシです』という言葉に込められたメッセージを一目で見抜き、彼女自身も、同じような思いをしていたからだろう。 

そう、高校時代の男友達が大好きだったアイドルを見て、声をかけたりするのも、10代にしてこの世から消えざるを得なかった彼の無念を 
少しでも晴らそうとするTさんならではの、せっけんなのだろう。 

天国の男友達やYちゃんも、Tさんが、この世で自分たちの無念や寂しさを、晴らしてくれているお返しに 

彼女の毎日に悲しみや苦悩を残さないように努力しているのかも知れない。 

だから、せっけん役をしているといっても、Tさんの感性と元気は、いっこうに消耗しないのだろう。 

『私はカツオブシです』 

ベッドに横たわって 彼は か細く笑った いのちを 削って 削って 

真実を伝えてこそ 人の味が出ると・・・・・・ 

彼の強さと 生きることへの使命感  僕の魂を 身震いさせた 

何もしないで 悲劇のヒーロー 気取るのは もうやめよう 

幸せのために 輝きあうために 熱く闘うんだ 

この詩は、あるエイズ患者がベッドに横たわりながら、ニュースのインタビューに答えて「私はカツオブシです」と語ったシーンに感動して、 一気に書き上げたものだった。 

死の淵にありながらなお、真実を明らかにする為に、製薬会社と厚生省を訴える法廷に、立ち続けた、その彼の悲壮な使命感が 
ブラウン管越しに熱く伝わってきたのだ。 

肉体的には、最悪な状態にあっても命を削って己の使命を全うしようと、冗談を交えてインタビューに答えていたその姿は、ある種の神秘性を帯びていた。 

そして、彼はまもなく息を引き取った。彼にとって、エイズ勧告は 
晴天のへきれきだったに違いない。 

でも、おごる者たちの罪をあばこうとして、思いもよらない人生の最期を生き抜いたのだ。 

前出の詩は、その強い意志とエイズによって殺された彼の無念を自分の 
心に刻み 
多くの人達にも伝えたくて書いたものだった。 

Tさんのおかげで、ふいに思い出したそんな思いも伝えたかったけれど・・・ 
彼女は、夜の9時過ぎ、笑顔で「明日はバイトで、明後日はまたお笑いのライブ、その次はプロレス観戦。忙しいけど、頑張るわ!」と言って 
店を出て行った。 

でも、きっとCDの曲を聴いて、鋭く、やわらかい感性が、私の思いの断片を読み取ってくれたと思う。 

もっと色んな話したかったという、かすかな無念さを抱きつつも、天国にいるYちゃん達と、交信しながらどこまでも自分に素直に生きるTさんに 
元気づけられた私の心には、こんな詩が浮かんだ。 
「なみだが泉を満たしたら」 

この苦しみから 逃れるのは 意外に 簡単なこと 
そう 目の前の 自分との戦いをやめればいいんだ 
でも そうしてしまえば 私が私に生まれたことの素晴らしさも 

記憶の果てに消えてなくなる だから いのちの泉が枯れるまで 

この苦しみと 戦っている私を 誰よりも 愛していよう 

この悲しみから さよならするのは 意外に たわいもないこと 

そう 今日までの あなたとの出会いを忘れればいいんだ 

でも そうしてしまえば 私がこれから生きてくことの輝きも 

未来の果てに消えてさまよう だから なみだが泉を満たしたら 

この悲しみと 戦っている私を もう一度 こころに刻もう 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
重度の脳性麻痺で、ヘルパーさんがいないと生活出来ない、生きていかれない状態の作家さんです。 
言葉も、私がきちんと聞き取るれるまで、繰り返して言ってくれました。 
意味を理解したフリをすると怒って、何度も分かるまで言ってきます。 

おかげで、聞き取りが上手くなりました(^-^)♪ 

腕や足もぐにゃっと曲がっているので、寒い時に会った時には 
「なんか、前より、ちっちゃくなってない?」と、今、考えると 
とても失礼な事を平気で言っていました。でも、いつも笑って冗談で返してくれていました。 
「せっけんとカツオブシ」の、くだりは本を読んで思い出しました。 
全くの事実で、驚かれました。だって、カツオブシのほうが美味しいんだもん。 (笑)

あとは、基本、彼の感性で書いているので…ノンフィクションかフィクションなのか!?(笑)それから、私の為に書いてくれた詩には、本当に感動して泣きました。高価なモノよりも嬉しいプレゼントでした。 

彼と出会い、色んな勉強になりました。重度の障害をもっていても 
強い心さえあれば、色んなことにチャレンジ出来る。出来ないことなんて、ほとんどないんじゃないかな?ってくらいに。 

ただ、外に出かける時は、命懸けなんですけどね。あと、付き添いの人がいないと出来ない事が多すぎるのですが、ヘルパーさんや手助けしてくれた人に心から感謝して「ありがとう」を言う。 

それを「当たり前」だとは思わない。その、謙虚な気持ちがあれば、きっとどんな事も出来て乗り越えられるはず!! 

・・・・そう思います。私も心から感謝しています『ありがとう』 

もし、読んでくれた方がいらっしゃったら『お疲れ様&私の物語を読んでくれてありがとう❤️』(昔々のお話でした~ヽ(*≧ω≦)ノ☆)