12月8日がまたやって来ました。。。
ジョン・レノンの命日です。
(このブログは昨年と同じものです) 
 
ジョンの死  ウィキペディアより 
 
1980年12月8日の午前中、自宅アパートのダコタ・ハウスでジョンはアニー・リーボヴィッツによる
ローリング・ストーン』掲載用写真のフォトセッションに臨んだ。11月に発売されたニューアルバム
『ダブル・ファンタジー』のジャケット写真(篠山紀信撮影)では、整髪料をまったくつけないマッシュルームカットヘアスタイルにトレードマークの眼鏡を外し、ビートルズ全盛期の頃のように若返った姿が
話題を呼んだが、この日のジョンはさらに短く髪をカットし、グリースリーゼント風に整え、眼鏡を外して撮影に臨んだ。その姿はデビュー前、ハンブルク時代を彷彿とさせるものであった(10月ごろには
伯母ミミに電話で、「学生の頃のネクタイを出しておいてよ」と頼んでいる)。
 
フォトセッションを終えてしばらく自宅でくつろいだ後、17時にはヨーコの新曲「ウォーキング・オン・シン・アイス」のミックスダウン作業のため、レノンはニューヨーク市内にあるレコーディングスタジオ
「ザ・ヒット・ファクトリー」へ出掛けた。
一方、レノン夫妻は「ザ・ヒット・ファクトリー」にてラジオ番組のインタビューを受ける。この最期のインタビューで、レノンは新作や近況についてや、クオリーメン時代のこと、マッカートニーやハリスンとの出会いについて語っている。そして、「死ぬならヨーコより先に死にたい」、「死ぬまではこの仕事を続けたい」などと発言をしている
 
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f5/Lennon_apartment.jpg/250px-Lennon_apartment.jpg
レノンの自宅のあったダコタ・ハウス
 
 
22時50分、スタジオ作業を終えたレノンとヨーコの乗ったリムジンがアパートの前に到着した
2人が車から降りた時、その場に待ち構えていたマーク・チャップマンが暗闇から「レノン?」と呼び止めると同時に拳銃を両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、
彼は「撃たれた!(I'm shot!)」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた。
警備員は直ちに911番に電話し、セントラル・パークの警察署から警官が数分で到着した。
 
警官の到着時にレノンはまだ意識があったが、既に大量出血し、一刻を争う危険な状態であった。
そのため、2人の警官が彼をパトカーの後部に乗せ、近くのルーズベルト病院に搬送した。1人の警官が瀕死に陥っていたレノンの意識を保たせるため質問すると、声にならない声で、自分がジョン・レノンであること、背中が痛いことを訴えたというが、彼の声は次第に弱まっていった。病院到着後、医師は心臓マッサージと輸血を行ったが、レノンは全身の8割の血液を失い、失血性ショックによりルーズベルト病院で23時過ぎに死亡した。レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だったという。
 
事件後チャップマンは現場から逃亡せず、手にしていた『ダブル・ファンタジー』を放り出し、警官が到着するまで『ライ麦畑でつかまえて』を読んだり、歩道をあちこちそわそわしながら歩いていた。彼は逮捕時にも抵抗せず、自分の単独犯行であることを警官に伝えた。被害者がジョンであることを知った警官が、「お前は、自分が何をしでかしたのか分かっているのか?」と聞いたときには、「悪かった。君たちの友達だっていうことは知らなかったんだ」と答えた。
 
病院でレノンの死を伝えられたヨーコは「彼は眠っているということ?」と聞き返したという。
後に病院で記者会見が行われ、スティーヴン・リン医師はレノンが死亡したことを確認し、「蘇生のために懸命な努力をしたが、輸血および多くの処置にもかかわらず、彼を蘇生させることはできなかった」と語った。
レノンの射殺に関しては、当初「FBI関与説」などの根拠に欠ける陰謀説も持ち上がったが、
その後の捜査により現在は単独犯行として結論づけられている。
しばしば犯人は「レノンの熱狂的なファン」と言われるが、実際には彼は特に熱狂的なファンではなかったとされ、また一種の精神疾患的な症状があり、現在この説は疑問視されている。
 
 
 
 
この事件は、元ビートルズの3人にも大きなショックを与えた。カナダに滞在中だったリンゴは後に妻となる女優のバーバラ・バックとともにニューヨークに飛び、ヨーコとショーンを見舞った。マッカートニーは
ヒア・トゥデイ」を、ハリスンは「過ぎ去りし日々」(ポール、妻リンダデニー・レインジョージ・マーティンがバックコーラスで、リンゴがドラムで参加)をレノンの追悼曲としてそれぞれ発表した。
また世界中のミュージシャンたちもこの事件にショックを受けた。ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズは「ジョンを殺した犯人に対しては、憎しみが薄れることはなく増すばかりだ」「ジョンを殺した奴を、オレが必ず撃ち殺してやる」と発言している。
 
日本ではビートルズ・シネ・クラブにファンからの電話が殺到し、同クラブ主催による追悼集会が日比谷野外音楽堂で行われ、『心の壁、愛の橋』のフォトセッションでの巨大写真が掲げられ、ステージにはその後キャンドル片手に街を行進した。その後も節目ごとに追悼イベントが行なわれている。
 
 
ジョン・レノンを偲んで  
 
私が選んだジョンらしい曲と言うか、1980年12月8日の夜から、こんな曲達を聴きながら
ひたすら泣いておりました。。。ジョン・レノンよ永遠に
 
Imagine(イマジン) - John Lennon
 
 
The Beatles - It's Only Love
 
 
The Beatles - No Reply
 
 
The Beatles - In My Life
 
 
John Lennon "Love"