先日、主宰するコミュ(仮称)歴史散歩サークルではなく、別の散歩仲間の中で散歩主催をしてまいりました。
場所は横須賀の浦賀。
浦賀周辺の史跡と、それに併せて東京湾要塞跡である「千代ケ崎砲台跡」を見学した後。
燈明堂から浦賀の町歩きをしました。
今日は、浦賀奉行所と為朝神社について話します。
まずは為朝神社へ。
この為朝神社というのは、その名の通り源為朝を祀った神社です。
寛政12年(1800)浜町の漁民が、海に漂流していた木像を引き上げ、地蔵堂に安置し祈願すると、その功が多かったそうで、鎮西八郎為朝の像であったといいます。
創建は文政期(1820年代)であり、航海及び疱瘡除けの神様として信仰を集めていました。源為朝は源頼朝の父の弟にあたりますが、強弓で知られ、後世には疱瘡除けの神となりました。この浜町に伝承されている「虎踊り」は、浦賀奉行所の開設にあたって、伊豆下田から伝えられたもので、県の民族文化財に指定されています。毎年6月のためとも神社の祭礼に奉納されています。
ここから、浦賀奉行所へ行きます。
跡地となっており、何もないのですが。(笑)
浦賀奉行所とは?
享保元年(1720)に奉行所が下田から浦賀に移されました。
奉行所では、船改めのほか、海難救助や地方役所としての仕事を行っていました。また、文化・文政年間の頃からは、たびたび日本近海に出没するようになった異国船から江戸を防備するため、海防の最前線として、さらに重要な役割を担うようになりました。奉行所が浦賀に移設された享保5年から江戸幕府が倒れた慶応4年(1868)までの約150年間に、奉行は一時2人制の時期もありましたが、初代堀隠岐守から最期の土方出雲守まで延べ52人が務めました。
現在では、奉行所敷地を取り囲む堀の石垣と、表門の前にかかっていた伊豆石の石橋が4~5枚残るのみとなっています。
ということで、広い敷地の公園がいつの日か奉行所の再建になるのではないかと、淡い期待をしてます。
さらに、奥にある第六榊天神社へ。
主祭神は面足彦命(猿田彦神)です。
さらに東西の浦賀を船で渡ります。
続きます。
※ 5月31日から6月3日まで、旅行によりPCを操作できる環境にありません。
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(日時指定投稿です)





