私はオリンピックを見ない。

選手を批判することはしないが、特別に応援はしてません。

とは言いつつも、金メダルラッシュであることは素晴らしいとは思うし(歴史的、対外的に認められにくいものになりそうな気はするが)、選手たちにそれぞれのドラマや葛藤があることは事実だし、特別ケチをつけるつもりはないです。

 

が、この村上茉愛選手の発言は・・・・考えさせられました・・・。

この発言を聞いた瞬間、私は「ふざけるな!」という気持ちが先立ちましたが。

翌々色々な記事を読み返すと、この方に対する誹謗中傷に対するものだった可能性が高く、ストレートな批判は違うなと思いなおしました。

村上茉愛 団体戦後にSNSへの中傷コメントに3分間涙で訴え(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

 

「コロナになってアスリートが発言するのはすごく難しい。もう消去しましたけど、そういう嫌なコメントを見てしまって…。すごく残念でした」

という発言があり、このあと、SNS上に中傷コメントが書き込まれたことに続き・・・。

そういう人を見返したいと思って、この1年頑張ってきた。そういう人たちに思い知ったかと思ってもらいたいです。すいません、最後に泣いてしまって」

という発言をしたというのです。

 

誹謗中傷に対する村上の対応、発言だ、とは思う。

が、「見返したい」や「思い知ったか」という言葉は、捉えようによっては、相手に対する攻撃的、批判的な発言となりうるものです。

村上の中に、相当に鬱屈し憤懣やるかたない感情があったのでしょう。

しかし、あえて厳しい発言をさせていただければ。

自分を攻撃した人に対して、攻撃的と思えるような発言で返してしまうのは、発信力の強いアスリートがやるべき行為ではないと思います。

大坂なおみが、このような攻撃的な発信をしたことはおそらくないと思います。

松坂大輔の「リベンジ」発言が、一時世間を賑わせて、私も喝采を浴びせたこともありますが。

「リベンジ」なる言葉は、仕返しという意味であり、スポーツというものの精神からは本来外れているものだと思います。

村上の発言も、ある意味「リベンジ」的な意味合いが込められています。

 

誹謗中傷が苦しかったとか、何とか理解してほしい、という言い方で対応することに終始してほしかったです。

何故なら、私も含めて、五輪開催に反対している人は数多くいるからです。

五輪どころではないコロナ患者や医療従事者、さらには飲食店関係者の方は、五輪開催に対してある意味怨みに近い感情を抱いていても不思議ではありません。

そういう方たちがいて、それでもなお五輪を開催しているわけです。

村上がそれを理解していない、とは思いませんが、もう少し大きな視野で見つめることができたならば、あの場で一部の誹謗中傷者に対する「感情的」な発言は慎むべきだと思いました。

 

日本のアスリートは、こういった発言力、発信力にはやや乏しい感があります。

「自分のプレイをするだけです」「周囲の状況がどうなろうと、私たちの事をやり切るだけです」

この「集中するだけ」的な発言に終始するのは、一見かっこよいように見えてしまうから厄介ですけどね。

もっと、真の意味においての自分の意志で発言するアスリートが出てきてほしいと思います。

(日時指定投稿です)

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