22つ目のお弁当は
チキンのチーズ焼。


新たな弁当おかずの登場ということで
帰宅した息子に確認すると、
あれ、おいしかったよ!
との返答が。
脂にやられた、とか言われそうで
(息子はあっさりがお好み)ビクビクしていたが案外いけたらしい。


これで変わり映えしないおかずでも
すこし変化を付けられそうだ。


しかし、調子がでない。


歳と共に匂いに敏感?
なのか、
朝の通勤電車はマスクしてないオッサンからにんにく臭が気になって思わず移動。


観光客もどんどん増えており
彼らはもれなく匂いキツめだ。


インド系
白人、
もれなくでかくて臭い。


繊細な味覚や嗅覚は日本人特有なのか。


香水の匂いがあんなにしてて
ラーメン屋とか絶対無理だと思う。


隣りにいたら味が変わってしまう勢いだ。


昔ながらの人間だからか
歩きながらスマホ触るのも理解できない。
いつも通勤時、ぶつかってしまう。


ちんたら歩くぐらいなら、どこかに座ればよろし、と思うが。


寺山修司が


小学校によくある
二宮尊徳の像(薪せおったまま本読んでるあいつ、最近見かけないが)は、
野山を歩いているときは、
野山を読むべき、みたいなことを言っていたような気がするが、
本当にコスパタイパは逆に無駄にしているような気がしてならない。


道草は食ってなんぼだろう、と。
寄り道、回り道ばかりなので思う。


思いつきで無職期間、
息子の高校入学に合わせてブログをはじめたら、
新たな仕事を始めることになり
さらすのは嫌だが、
面白い記事は書きたい、でも既に果てつつある、
毒親や過去の話は重すぎる、
そんなジレンマで
はやばや挫折しかけのブログ。


毒親という言葉は
流行る前から、15年以上前から著書を読んで知っていたが、
ここまで流行ると思わなかった。


そして、もれなく意味が変わってしまった。


毒親育ちなんです〜
と軽いノリでいえない闇の深い
家族の問題。


お釈迦様あたりも
そういう意味じゃないんだよなあ、なんて思いながら空からみてるんだろう。


言葉はすぐ変わってしまう。
はじめてみたら
進んでみると変わるのが普通なのかもしれない。


おいしいものや、弁当とは無縁な毒親育ちが、
足掻いて足掻いて汚い弁当を作ったとて

普通に
虫や石が入ってない弁当が食べられた

普通の人からみたら当たり前のことなんだろう。


23日目は鯖弁当
24日目はとん平焼き
25日目は、ついに最終兵器!
コンビニとろろそばを持たせた愚かな母を
どうか、神様仏様、みなさまお許しください。