一人で観戦していた時代をおもいだしたかぁ~ | ボクシング・メタボリック

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ボクシングに魅せられて38年。世界戦国内現地観戦280試合、海外デラ・ホーヤとトリニダード戦を観に行っただけ。ニューヨークの殿堂はたった2回。現地速報や新聞情報貼り感想書いてます。
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太陽と海さんの一人で観戦していた時代を思いだしたを読んで、私もおなじようなもんだと思った。幻の初観戦は1982年11月11日の渡辺二郎vs大熊正二戦、以前にも書いたが当時中学生。浜松だったので学校終わり静岡駅へ向かい鈍行で浜松へ、然し会場が右か左かわからない。その動きと服装に怪し差を感じたのか、(体育ジャージで胸には縫い付けのるいちゅと記入、そして坊主頭)お巡りさんに声掛けられるも逃走。逃げ切るも会場の方向かわからない、道を聞きながら行くと、すでに手配されてたのか?今度はお巡さんに捕まり、交番へ連行。小遣い貯めてきたから何とか観させてと頼むも当然無理。学校と

おうちへ連絡、可哀想に思ったのかテレビをみせてもらった。担任か親か忘れたが引き取りに来て偉い怒られたのは覚えているが、ここまで来て観れなかった事の方が悔しかったので反省はしていなかった。

だって翌日また校長室で怒られたんだもん。

 

 翌年初観戦ついに実現、地元静岡でサントス・ラシアルvs穂積秀一

この時は高校生になっていたので自転車で当時の静岡産業館に一人で観に行った。ネットなどないし電柱に貼ってあったポスターで売り場のスポーツ店を知り買いに行った。当時は知識ないから新聞の情報鵜呑みにして穂積さんが勝つもんだと思っていたが、あっさりやられ、ちょっとびっくり。その後原田さん、白井さんにサインをもらった、これが現在も続く私の日本が生んだ世界チャンピオンのサインコレクションの始まりとなった。二郎さんが新聞社の取材が終わるのを待っててサインをお願いしたが、ものすごいオーラだったのと穂積さんの「こいのぼりあげてラシアルからベルトもらおうと思って。」という言葉をのを覚えている。

 

そして念願の ホール初観戦は1985年の三原正vsトリッキー川口戦、この試合に勝ってハーンズ挑戦を掲げていたが、勝つには勝ったがとても世界しかもハーンズは無理と観戦歴の浅い自分でもわかる内容だった。

リング上でインタビューを受ける三原さんを見ながら、三迫会長が「もうだめだな」とポッツと一言つぶやいたのを覚えている。

観戦仲間などいないので親父と行っていた、親父は試合後出口がわからず控室の方の階段を降りって行ってしまい、慌てて追いかけた、

戻る途中に三原さんが来て色紙にサインもらった。結局この親父の間違いのおかげて三原さんのサインをもらう事が出来た。その後三原さんはあまり表舞台にでてこずサインも手に入りにくくなったので、結果的にラッキーだった。

 

一人観戦の話を書いていたが長くなったのでまた機会があったら次回

果たして観戦仲間が出てくるのはあと何年先でしょうか?

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