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尾川堅一「一番幸せな一日」完全アウェーで王座獲得 米ラスベガスでの世界王座獲得は初

2017年12月11日6時0分  スポーツ報知

  • IBF王者のベルトを手にした尾川堅一(右)は、元世界6階級制覇王者のオスカー・デラホーヤ氏から祝福を受けた(写真提供・帝拳ジム)
 

 ◆プロボクシング 世界戦 ▽IBF世界スーパーフェザー級(58・9キロ以下)王座決定戦12回戦 〇尾川堅一(判定 2―1)テビン・ファーマー●(9日、米ネバダ州ラスベガス マンダレイ・ベイ・イベンツセンター)

 【ラスベガス(米ネバダ州)9日=三須慶太】前日本スーパーフェザー級王者でIBF同級4位・尾川堅一(29)=帝拳=が、世界初挑戦での王座獲得に成功した。同級5位テビン・ファーマー(27)=米国=に2―1の判定勝ち。米国で日本選手が世界王座を獲得するのは、1981年11月の三原正(三迫)以来、36年ぶりの快挙となった。尾川の戦績は23勝(17KO)1敗、ファーマーは25勝(5KO)5敗1分け。

 自らの勝利が告げられた瞬間、尾川は両手を天高く上げた。そして赤コーナーポストへダッシュ。一気に駆け上がると雄たけびを上げ喜びを爆発させた。「人生の中で一番幸せな一日です」と、かみしめた。

 米国での日本選手の世界王座獲得は36年ぶり。聖地・ラスベガスで日本選手が防衛した例はあるが、世界王座を手にするのは初だ。IBF王者は名門・帝拳ジム初で、同ジムの世界王者は13人目で国内単独最多となった。「名前を歴史に刻むのが目標だった。最高ですね」と笑顔を見せた。

 完全敵地でも自らの流儀を貫いた。尾川は立ち上がりから前へプレッシャーをかけ続けた。ファーマーのカウンターの左フックを被弾する場面もあったが、攻め続けた。7回には自慢の右の強打でぐらつかせるなど、闘志を前面に出した。

 15年に53歳で死去した父・雅一さんの指導で、2歳で日本拳法を始めた。主将を務めた明大では団体インカレVを果たすなど全国で活躍。だが「(無差別なのに)簡単に勝てていた。蹴り、投げもある中でほとんどが殴るスタイルだったので、以前にジムに通っていたボクシングで世界一になりたかった」と転向した。

 10年4月にデビューし7連勝で全日本新人王。「すごい練習したわけでもないのに簡単に取れて『ボクシングも違うな』と思ってテングになっていた」。9戦目で初黒星を喫し、顎を骨折した。手術を余儀なくされ「家族のために普通に仕事をするのがベストと思った」と引退も考えた。踏みとどまった最大の理由は、梓夫人(30)の「絶対に才能があるから、続けてほしい」という言葉だった。その後に引退を考えたことは皆無。あの言葉がなければ世界王者・尾川は誕生していなかったかもしれない。

 夫人は会場で応援。最高の姿を見せた尾川は「一番に喜びを伝えたいのは妻。幸せにできたかな」と感謝した。梓夫人は「ありがとうしかない。格好良かった」とねぎらった。もちろんゴールではない。新王者は「もっと強い王者になって、世界中から認められるボクサーになりたい」と飛躍を誓った。

 

KO勝ではなかったものの村田さんの予想あたりましたね。アメリカでの世界タイトル獲得は三原さん以来なんですが、Jrライトですとデトロイトでデトロイトで当時10連続(だったかな?)防衛中のサムエル・セラノを1発でKOした上原さんを思い出しますね。KOラウンド前のインターバルでそれまでセラノに強打を封じ込められテクニックの差を見せつけられ圧倒的ふりだった上原さんに先代金平会長、もう好きにやれ。といって送りだしたらKOしちゃた。ってのを思いだしましたね。もうしわけないですが、全く勝てるとは思ってなかったのでこの結果はびっくり。

初防衛は3月頃日本で山中さんとWでしょうか。おめでとうございました。今夜WOWOWでまたゆっくりと見たいと思います。

 

 

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