こんにちは(^^)/♥

気が向いたら記録を更新しているのですが、また記録していこうかと思います。

 

今回は、この間あった出来事なのですが、非常に何とも言えない気持ちになったので、

それについて書いていこうかと思います。 これは、全てノンフィクションです!

 

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――時と言うものはあっという間ですね~((+_+))

私が綴ってきていたエピソードも、気付けば20話になったのですね。

 

なので・・

 

簡単にですが、私の現状を改めて、少し整理してお話ししますね。

 

その方が、この後の内容が入ってきやすいかな?

 

 

 

 

 

――私のここでの(ブログでの)物語の始まりは・・

 

去年の秋より、肺動脈性肺高血圧症と言う難病であることが分かって、

 

大きい病院を受診するが、専門の施設・医師の元でなければ、治療が困難であると、告げられた。

 

その治療が可能な施設は、たまたま自身の住む県に1つあったが、

 

他県から治療に訪れる患者も多くないそうだ。

 

大きい病院より、紹介状を頂き、数日後に改めて受診すると、

 

こちらの病院受診後、即日入院の手配となる。

 

 

 

 

入院とともに、私に課せられたのは、1歳半の我が子と、離れ離れになること。

 

私が入院すると言うことは、そういう事になる。

 

それも、一度入院すると、いつ退院できるのかは、この時「分からない。」と言われていた。

 

そんな最中、我が子の面倒を見てくれる人は誰?と言う問題が発生。

 

我が子が一番懐いていたのは、今年傘寿を迎えたお婆ちゃんだった。

 

そして・・高齢であるこのお婆ちゃんが、「この子は私が面倒を見るよ。」と名乗りを上げてくれた。

 

とても悩んだ・・。なんせ、懐いているとはいえ高齢だから・・。

 

しかし、義理の両親も私の両親も共に、現実的に面倒を見ることは難しかった。

 

悩んだ結果・・。私の治療を優先にしなければ早死にする・・。

 

「治療を先延ばしにしていいことはない。

母親を長生きさせなければ、この先もっとこどもが悲しむ。」

 

この先生の言葉もあって、苦渋の決断をする。

 

結果・・2か月もの間、そのまま入院した。

 

 

 

入院してからと言うもの、我が子とは毎日会えなくなってしまった。

 

最低でも1週間に一度会えるかどうか?と言う状況。

 

さらに、私は絶対安静であり、医師からは抱き上げることも控えるよう言われていた。

 

なぜなら、少しでも心臓への負担は、控えていてほしいためだった。

 

それ程、私の身体的状況は、最悪の状況であったようだ。

 

 

 

 

退院後も、数日後には、膠原病性肺高血圧症であることが、

 

後に分かった事から、この膠原病を治療するには、残念ながら当院では専門医がいないのだと・・。

 

そのため、一旦退院後、新たに別の病院へ、はしごするように、再度入院となる。

 

今回の入院は、2週間ほどだが、この入院から化学療法が開始となった。

 

この化学療法。免疫抑制剤の強力なお薬を投薬する治療であるため、

 

退院後は、年末年始の時期でもあったので、外出は禁止になった。

 

さらに、人との接触は極力控えるようにし、感染にとにかく注意しなければならなくなった。

 

そのこともあり、我が子が体調が悪いと、私にうつっては困るので、より一層会うことが困難になった。

 

 

 

 

入院するようになってすでに今半年になるが、

 

温かくなってきたこの季節もあって、体調も落ち着いてきた。

 

我が子とも、再び会うことも少しは可能になってきている。

 

 

 

 

 

 

 

――上記までのお話が、これまでを簡単に説明したものになる。

 

で!ここからやっと本題へと、お話を進めますね(^^)/(笑)

 

 

 

 

この間、我が子と一日過ごしたのち、まだ一緒に寝起きするまでに、

 

私の体力が回復していないため、我が子をお婆ちゃんの元へ、預けているのだが・・。

 

いつも通りならば、に対する我が子は、笑えるほど態度がドライなんです。

 

でも、今回だけは、違って、我が子自ら夫に抱っこしてもらうなり、私たちが帰る車を指差したのです。

 

そして、いつもなら、夫に手を振ってくれるのですが、今回はおばあちゃんの方へ手を振っているのです。

 

私達は後ろ髪を引かれる思いでしたが・・

 

我が子を託して去るしかなくて・・きついなぁ・・つらいなぁ・・

 

私は車の助手席から、我が子の何とも言えない顔を見つつ、手を振り続けました。

 

きっと・・我が子も一緒に、お家に帰りたかったんだよね??

 

一緒に居てあげられなくてごめんね・・。💦

 

あんな顔させちゃってごめんね・・。💦

 

 

 

 

早く私も自分の体力を回復したい。(T_T)

 

でも意外と、思うように体力ってついてくれないものなんですよね・・。

 

私が望んでいても、身体は言う事と聞いてくれない・・。

 

半日我が子と一緒に過ごしただけでも、

 

中々疲労感が半端なくて・・私が子育てをする体力まで、到底なくて・・

 

それを知っては落ち込んで・・を繰り返していたが・・。

 

 

 

 

でも無理を今してしまったとして、これまで頑張ってきた日々が、

 

全く無意味なものになってしまうこと程、つらいことはありません。。

 

我が子と離れ離れになる生活を耐えてきているこの半年間、

 

一番かわいいこの時期を、近くで見られなかった

 

母の悔しい思いをばねに、今もこうして耐えます。

 

 

 

 

それは、これから先、我が子の成長していく時間を少しでも長く見ていたい。

 

私が長生きすることで、母なき子にしない為にも、耐えます。

 

これまでやって来たんだもん、もうしばらく耐えてみせます。

 

だから、赤ちゃんながらも、一緒になぜいられないのだろうか?と、

 

少し感じてきてしまっている我が子も、分かってね・・。

 

出来るだけ、母も早く私の手元に我が子を置くためにも、体力をつけるね。。

 

 

 

 

 

 

 

――私は、この病気が分かる前まで、相当の我慢をしていた。

 

過去を振り返れば、それが一番してはいけないことだったのだと思う。

 

しかし、こどもが居ると母親って不思議と頑張れてしまう生き物なんですよね。

 

自分が入院した時、身をもって体験したことなのですが、

 

私自身入院前夜まで、子育てに家事にと、普通の生活が送れていたにも関わらず・・

 

入院以後、その翌日より、我が子と離れてから?が正しいのかもしれませんが、

 

足が立たなくなったんですよね。

 

ええ、トイレに行くのも車椅子。車椅子移乗すら、フラフラ・・

 

それも、トイレに行くことが、これほどまでにしんどいことだったのか?

 

これまで、どうやって?生活していたのだろうか?とさえ、

 

自分で分からず、疑問を抱くほどでしたから驚きです。

 

 

 

 

振り返ると分かってきたこと・・。

 

無理をすること、これは一番してはいけないことだった。

 

だからこそ、中途半端なことにせず、もう少し私の体力が回復してからでなければ、

 

また感覚マヒしてしまい、日常生活で無意識に無理をしていってしまうんだと、

 

気付かされたのです!!

 

 

 

 

皆さんも、これくらい大丈夫。と、思ってしまう人が居ると思いますが・・

 

それは、ホントの大丈夫でしょか??その場でわからなくとも、

 

ある日突然無理をしてきた身体が、悲鳴を上げる時が訪れるかもしれませんよ??

 

気を付けましょうね☆彡

 

 

 

 

 

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以上!!今回は、振り返りも少しかねて記録しましたm(__)m

でも、すべて実際にあったことです!!ノンフィクション!!

だからこそ、時には自分の身体も労わりましょう(笑)♥

 

それでは~またいつか記録を書くでしょう~(=゚ω゚)ノ✨✨