今回ご紹介するのは鈴木石です。

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鈴木石(Suzukiite)【珪酸塩・斜方】←1.5cm→

岩手県下閉伊郡田野畑鉱山松前沢鉱床


先ずは田野畑鉱山について、文献を繙きましょう。


沿革は「大正15年から開発されたと伝えられているが、詳らかでない。昭和15年、佐藤元郎が試掘権を設定し、翌16年、林勉に、ついで及川誉三郎に、それぞれ譲渡され、16~17年間に、精鉱(Mn35%)約300tを生産した。19年、重山元の所有となり、島ノ越鉱山と称して、月産10t前後の生産をあげた。鉱業権はその後も転々とし、その間多少の出鉱があったようであるが、詳細は不明である。29年、内田愈ほか1名が鉱区を買収し、陸中鉱業㈱を設立し、31年に東邦電化㈱の援助を得て電化したが、32年に経営不能となった。この間、約3,000t(Mn32%)の生産があった。33年1月、中村友之助が租鉱権を得て、若干の出鉱があった。同年4月、東邦鉱発㈱が鉱区を買収して、稼行を継続した。37年1月、親会社である東邦電工㈱の名義となり、39年5月、日本電工㈱と合併したが、鉱区は直ちに新鉱業開発㈱に売却された。

 同社は41年、2坑および3坑鉱床間の試錐探鉱を実施し、この結果に基づき、3坑鉱床西坑地並での北向探鉱を掘鑿して、坑口より490mの地点で鉱体を捕捉し、ひ(金偏に通)押と掘上り採鉱を実施した。47年8月18日、鉱区は野田玉川鉱発㈱に譲渡された。しかし、その後、稼行されることなく、48年6月8日に鉱区は放棄された。」(『新岩手県鉱山誌』)


この鈴木石のもう一つの原産地である、群馬県の茂倉沢鉱山についても簡単に見てみましょう。


「群馬県東部の桐生川沿いに位置する茂倉沢鉱山は、三畳紀のチャート中に形成された層状マンガン鉱床であり、ジュラ紀の頁岩、砂岩、礫岩に取り込まれ、全体として付加体を構成している。鉱床は弱い変成作用や花崗岩による交代作用を受け、さまざまな鉱物が生成している。」(『地球の鉱物』)


それでは、鈴木石について、いくつかの文献を見ていきましょう。

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上段;田野畑鉱山、下段;茂倉沢鉱山


1982年茂倉沢鉱山と岩手県田野畑鉱山を原産地として発表された日本の新鉱物。変成層状マンガン鉱床から産するばら輝石、菱マンガン鉱、石英から成る鉱石中に鮮やかなエメラルドグリーンの板状結晶集合体で稀に存在する。」(『地球の鉱物』)


『日本の新鉱物』や『地球の鉱物』にも、1973年12月に無名会会員の滝沢浩氏が茂倉沢鉱山の塊状バラ輝石鉱の中から発見し、それが渡辺武男由井俊三加藤昭都築芳郎らが田野畑鉱山から発見し、同年10月の学界で発表したものと同一のものであることがわかったという話が載せられています。


「~エメラルドグリーンの鉱物も調べだした。X線粉末回析データからすぐに「原田石」ではなく、「鈴木石」だとわかった。しかし、「鈴木石」はこれから新鉱物になるのに、なぜ「鈴木石」だと結論されるのか、何か変だと思うのが当然かもしれない。種を明かすと、1973年、岩手県下閉伊郡田野畑村の田野畑鉱山から、「原田石のバリウム置換体」が産出したという学会の講演があり、詳細な研究はストップしていたものの、名前だけは「鈴木石」にしようということになっていたからである。茂倉沢鉱山のもののデータはほぼ田野畑鉱山のものと同じであったため、すでに名前がある新鉱物となったのである。「鈴木石」の記載は、茂倉沢鉱山の試料でおこない、新鉱物・鉱物名委員会の承認後、1982年、日本鉱物学会の英文誌で公表された。」(『新鉱物発見物語』)

さて、今度はこの鉱物名の由来となった鈴木醇について見てみましょう。


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左;小磯良平筆(『鈴木醇教授還暦記念論文集』より)、右;『地球の鉱物』より


1896年(明治29年) 栃木県河内郡古里村に生まれる。

1921年(大正10年) 東京帝国大学理科大学地質学科を卒業し、同大大学院に進学。

               同年9月、助手となる。

1924年(大正13年) 第一高等学校教授となる。

1928年(昭和3年)  文部省在外研究員となり、チューリッヒ大学で変成岩を研究。

1930年(昭和5年)  北海道帝国大学教授となる。

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1948年(昭和23年) 日本地質学会会長となる。

1949年(昭和24年) 超塩基性岩とそれに附随する鉱床の研究で日本学士院賞を受賞。

1952年(昭和27年) 北海道学生柔道連盟会長となる。

1960年(昭和35年) 北海道大学を退官。十和田科学博物館館長、早稲田大学講師となる。

1962年(昭和37年) 日本鉱山地質学会会長となる。

1965~1967年(昭和40~42年)  早稲田大学教授を務める。

1966年(昭和41年) 勲二等瑞宝章を受章。

1970年(昭和45年) 虎ノ門病院にて、胃ガンにより逝去。享年73歳。

                                               

「~鈴木石は原田石に比べて格子体積が大きい。一般的な体格の原田に対して、巨体の持ち主であった鈴木の名をこの鉱物に用いたことは、まさに命名の妙だったのである。」


「~晩年は孫と遊ぶことが多くなり、子どもの頃から得意だった美術の能力を発揮して110枚もの自作の恐竜画集や模型をプレゼントしたという。名前に違わず酒を愛し、自らを「愛飲酒多飲(アインシュタイン)」や、「酒好人(しゅずきじゅん=すずきじゅん)」と称していた鈴木は、1969年、肺ガンと胃ガンに侵され、1970年3月12日に不帰の人となった。」

                                                 (『地球の鉱物』より抜粋)


今回参考にした書籍は以下のものです。

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『新鉱物発見物語』(松原聰、岩波書店、2006)

『鈴木醇教授還暦記念論文集』(鈴木醇先生還暦会、1958)

『日本結晶片岩』(鈴木醇、岩波書店、1932)

『日本産鉱物型録』(松原聰・宮脇律郎、東海大学出版会、2006)

『新岩手県鉱山誌』(髙橋維一郎・南部松夫、東北大学出版会、2003)

『日本の新鉱物』(宮島宏、フォッサマグナミュージアム、2001)

『地球の鉱物』(デアゴスティーニ)