「役を生きる」ために、最近クラスでよく話題にしている例え話があります。

 

 

 

役の人生とは。

客観的には、こう見えています👇

 

 

 

 

 

でも、役本人にとっての主観的な人生は、こうなってます👇

 

 

 

 

 

 

 

役とは……いえ、僕らの人生は。

側から見れば、テーブルの上に置かれて、波打つことも動くこともない、普通のコーラです。

 

それは、ただただ穏やかに、そこにあります。

このコーラ(役、人物)の態度は冷静で、そこから発せられる言葉も、とても穏やかなものです。

 

 

 

 

でも、本当は。

腕がちぎれるほどよく振ったコーラなんですね。

 

ボトルの中は、今にも爆発しそうなほどにパンパンに膨れ上がり。

フタを外そうものなら、中のコーラが噴出する。

 

それが、役の、そして僕ら人間の人生。

ホントの中身は、不安や怒り、悲しみといった、爆発しそうな想いでいっぱい。

 

 

 

ところが、その爆発しそうなコーラのボトルは、「状況」というフタで固く閉じられている。

このフタ=状況は、時には「ここは感情を露わにしたり、大声を出してはいけない場所」だったり、あるいは「想いをぶちまけたら恥ずかしい、負けだ、というプライド」だったり。

「話している相手に、自分のホンネを見せられない関係」だったり。

とにかく僕ら(役)は、その時その時の「状況」というフタによって、中のコーラを爆発させられないでいる。

 

 

本当は、爆発しそうなコーラを。

「状況」というフタで、その爆発をボトルの中に閉じ込めている。

 

 

その結果。

私(役)という人物は、心の中は悲鳴でいっぱいなのに、側からは「とても穏やかな人」に見えているだけ。

 

 

 

 

テーブルの上に、フタが閉まったコーラが置いてある。

それはとても、穏やかに、そこに置かれている。

 

でも。

その中身が本当は爆発寸前だったとしても、周りの誰も気づかない。

 

 

 

これが、「役」というものなんですね。

 

 

 

▲行き交う人々。

その一人一人は、側から見れば、ただ穏やかに歩いているだけ……。

でも本当は、心の中は叫び声がこだまして、爆発しかかっているのかもしれない。

それが、僕らの人生であり、人間の社会の姿。

 

 

 

台本に書かれている会話が、たとえ穏やかなものだったとしても。

その人の心の中も穏やかだとは、限らない。

 

 

むしろ。

演劇作品に登場する人物たちは、客観的には穏やかに見えていても、中身は「よく振ったコーラ」なんですね。

 

 

それを、「状況」というフタで閉じ込めているから、台本上は一見、穏やかに会話をしているだけ……。

 

 

 

 

つまり。

台本に書かれているセリフだけを演じても、それは「役」を生きたことにはならない、ということ。

 

 

役の人生を本当に生きるには、セリフではなく、

そのボトルの中身……爆発しそうなコーラを知る必要がある。

 

 

語られるセリフというのは、ほとんどの場合、ボトルに「フタ」がされている状態なんですね。

 

 

役が本当に感じているであろう感情とは。

台本に書かれているセリフとは、全然違う可能性があるということ。

 

台本に書かれているのは、あくまでも「客観的に見た役の人生」でしかないのですから。

 

 

 

▲「主観的な人生」と「客観的な人生」は、全然違う。

台本に書かれている「セリフ」とは、会話を「客観的に」書き留めたものだということを忘れてはならない。

役の内面(主観的な人生)がありのままに書かれている "小説" とは違うものなのです。

 

 

 

表面的には、穏やかなコーラだったとしても。

内面的には、爆発寸前の、はち切れんばかりにパンパンな状態。

 

それを創り出せるかどうかが、俳優の手腕にかかっています。

 

 

 

これがうまく創れると、役の内側には「パンパン」という圧力(テンション)がかかります。

 

このテンションが、役の内面的な充足感(満たされている状態)や、身悶えるような心のバイブレーション、湧き上がる感情を作り出す。

逆に、このテンションが不足していると、中身スカスカ、表面だけの演技になってしまうのです。

 

 

良い俳優は、このテンションをしっかりとかけられる人のこと。

そこに置かれているだけの「穏やかなコーラ」ではなく、「何度も振ったコーラ」にできるかどうかが、俳優の技術力になるんです。

 

 

 

▲中身のコーラを爆発寸前にする技術力。

それが「演技法」や「台本読解術」というものです。

 

 

 

 

 

A子「B男くん、おはよう!」

 

 

B男「……あぁ、A子ちゃん、おはよう。」

 

 

 

 

たったこれだけの会話でも。

A子さんは、片想いのB男くんに、清水の舞台から飛び降りるような思いで声をかけたのかもしれない。

 

それは、B男くんに最近、新しい彼女ができたと聞いたからかもしれない。

A子さんは、同級生に「ブス!」と言われ、ずっといじめられてきたから、怖くてB男くんに想いを打ち明けられないのかもしれない。

 

そういう、「劣等感」という深い傷を、胸に抱いているのかもしれない。

 

その結果、「おはよう!」という言葉しか口にできなかったのかもしれない……。

 

 

 

かたや、B男は。

本当は、昨日、新しくできた彼女にフラれてしまったのかもしれない。

 

その新しい彼女には、別の男がいたことが発覚したのかもしれない。

 

昨日はその彼女の誕生日で、プレゼントを用意していたのかもしれない。

それは、アルバイトで必死に働いて貯めた5万円で買ったネックレスだったかもしれない。

 

けれども、真実を知ってしまって。

結局、そのプレゼントは渡さずに、川に捨ててしまったのかもしれない……。

 

 

 

今日の二人の会話は、一見、何も起こっていない「普通のコーラ」同士。

 

でも、本当は。

互いに、心の中は、腕がちぎれるほどボトルを振った、「爆発寸前のコーラ」状態なのかもしれない。

 

 

 

 

 

こうした役の内面や状況を、台本の他のページから探ったり。

セリフに隠されたヒントを手繰り寄せたり。

俳優自身が想像し、創造すること。

 

 

それが、役作りのプロセスというもの。

 

その結果、A子さんとB男くんという2本のコーラは、「爆発寸前のテンション」を手に入れて、舞台上に上り、カメラの前に立つ。

そこで交わされる会話の内側は、台本に書かれた文字情報をはるかに超えた、感情に満たされたものになる。

 

 

 

 

台本に書かれたことがすべてなら、そもそも、俳優という仕事は必要ありません。

 

 

それ以上の「テンション」を加えて初めて、役はその人生を歩み出す。

僕らと同じように、悩み、喜び、心を震わせるようになる。

 

そこに、リアルな人間の人生が現れて。

俳優は、役を "本当に" 生き始めるのです。

 

 

 

 

 

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