今日は、少し理屈っぽくてしかもビジュアル的に何の面白さもないのですが、

地唄舞の腕を上げたい方は読んで頂けると嬉しいです。

 

私は以前は音楽関係の仕事をしておりましたが、特にピアノなどの楽器演奏において

「技術」と「表現力」ということがよく言われ私も考えていました。

今、地唄舞の指導をしていて、そのとき考えたことがとても役に立ち応用しています。

 

「技術」と「表現力」、その両方が相互に影響しあいながらレベルアップしていくことが大切で

どちらか片方だけが飛びぬけたり、劣ったりしていてはいけないし

技術=表現力であることが理想なのですが、地唄舞ではもう一つ「振り」という要素があります。

 

楽器演奏でいうと、読譜に近いですね。楽譜に残されていることを読み、再現する力ですね。

整理してみると

1.振り=読譜 →その先に暗譜

2.技術

3.表現力 

となります。

 

この1.振り=読譜 は最低できていなければならないのですが、一般的に趣味として舞やピアノを習う時、

振りを覚えたり譜面を読むだけで精いっぱいでその曲を終わってしまうことが多いです。

私のところでは「振りの呪縛」と呼んでいます。

でも、音大ではレッスンを受けるときに読譜が出来ていることは最低ラインで、

そこから指導が始まります。

厳しい先生ですと暗譜していないと先生の前に出られません。

楽譜がありますから、新しい曲がきまったら次のレッスンまでにそれはそれは必死で練習します。

まず先生の前でさらっと弾いた後で後ろの先生から怖~い一言が響きます。

‘in tempo' (ぞ~っ)

次に響く先生が革靴で床を踏む音

トントントントン  この速度で弾きなさい、ということです。

意を決してそのテンポで弾き始めます。

でも3回ぐらいつっかえると先生は低い声で言います「今日はもういい

今でも夢に見ます😢

 

地唄舞や日舞でも、一回の稽古でその日の振りを覚えていかないと次を教えてもらえない先生が

いらっしゃいます。

でもね、このギョクジョ先生はそんなことは要求していません。

その代りに早い段階で指導することがあります。

それは「演目における自分なりの解釈」です。

解釈は二種類あります。

①どんな気分で舞うか

②どんなストーリがあって、それが演目構成のなかにどう生かされているか

 

①のどんな気分で舞うか、は音楽で言うと発想記号で表されているものに近いですね。

カンタービレ(歌うように)とかマエストーソ(堂々と)とか、

これは、地唄舞であまり指導されないけどとても大切なものだと思います。

 

②は音楽で言うとアナリーゼみたいなものですね。

あまり分析に適していない演目もありますし、端唄小唄てきなものは感覚だけで舞ったほうが

抜け感がいかされるように思いますが、お能から来ている本行ものなどはちゃんとアナリーゼしないと

表面的なものに終わってしまいます。

その時に一番頼りになるのは、「歌詞」

楽器演奏は主題が出てきて、それが繰り返されて・・・・次の主題は・・・・

とややこしいことを楽譜とにらめっこして考えないといけないのですが、

地唄舞には「歌詞」があります。

その歌詞をちゃんと理解すれば、ここで感情がこう動くのかな、ここは二度見するところだな、と

自分で考えることが出来ます。

 

そういう自分なりの解釈、面白いですよ。

自分が解釈できていると、ご覧になる方もとてもわかりやすくなり、説得力のあるものになります。

でも気をつけないといけないのは解釈はできても「頭で考えている舞」になってしまう、ということです。

そこで解釈ができたらそれをぐるぐるっとまるめて理屈の角々をとって、身体にしみ込ませ自分のものにします。

これにはいわゆる「舞い込む」ということが必要になります。

同じ演目をなんども舞台にかけることで自分のものになっていくわけです。

初心者の段階では同じ演目を繰り返し披露することは難しいですが、機会がありましたら

せめて2回人前で披露して下さい。

2回目のときに、ああこういうことだな、とお分かりになると思います。

 

と、人にはお話しできてもいつも新曲に向かう時は一回だけでやれやれ、と忘れてしまう私です。