地唄舞のリズム感 | よいよの日

よいよの日

今日はよいよやったね~
一日の終わりにつぶやく言葉。
いろんな「よいよ」があって、今日もしあわせ。

地唄舞をお始めになった方が最初に乗り越えなければならないことの一つに

曲のとてもスローなテンポに慣れなければいけない、ということがあります。

現代の、特に職場で要求されるハイテンポと真逆の遅さです。

 

この遅い遅い地唄のなかで「リズム感」というと、あまり関係ないことのように思われるかも

知れませんが、地唄、地唄舞にはリズム感が大切だと思います。

私もあまりリズム感がよくないほうですが、お教えしていて「これはなんとかしたい!」と思うのは

この、頭が強迫で、そこに体重をどすんと落とす「拍子の呪縛」みたいなものから脱出できない方に

お教えするときです。

これは、昔の小学校の西洋音楽教育の悪影響ではないかと常々考えています。

実は私は大学時代に音楽教育学をかなり勉強した(させられた)のに、すっかり忘れているのですが、

とにかくオイチニッ、サンシッと定規で線をひくように拍子を教え、

習う曲もとにかくリズムが単純なものしか教えず、聴かせず・・・・

子供時代、学校にはそんな片言みたいな音楽しかありませんでした。

仕方ないかもしれません。

当時教える先生方が西洋音楽がわからなかったのですから。

当時の音楽の先生にとって、リズム=拍子=算術 みたいなものだったのでしょう。

 

でもね、浪曲はとてもリズムが調子いいでしょう?

西洋音楽を義務教育で教える前の日本の音楽はとてもリズミカルで、変化に富んでいたし、今も富んでいるのです。

日本人は農耕民族ゆえにリズム感が悪く、特に裏拍をとるのが苦手という説もありますが、

例えば能楽においてはいろいろな拍子の割り付けや謡のリズムがあり、演奏上独特のノリを

演出しています。

西洋音楽とは異なるけれど日本音楽のリズム感というものがあるのです。

落語のしゃべりの間の取り方なんて、リズムが絶妙ですね。

 

当然地唄にも豊かなリズムがあります。

もともと音楽は体で感じるもので、四分音符で縦に区切られているものではありません。

でも234と数えて音楽を勉強した体は、地唄舞の豊かなリズムを身体で表現するのが大変。

典型的な例をあげると、地唄舞のごく初歩の曲に、「裏で入る」ところがいくつかあるのですが、

ここが入れません。

 

いつもどうやって体でおぼえてもらうか苦労しているのですが、

先日新発見しました。

西洋音楽でリズム感を磨いたあるお弟子さんに「裏で入って」と申し上げたら

いとも簡単に理解されたのです。

「裏」=アウフタクトAuftakt (弱起) という感覚で理解されたようでした。

でも正確にいうと「裏」=弱起ではないのです。

その方も決して弱起的な動きはされませんでした。

何故なら「裏」は弱拍ではなく、むしろフレーズの始まりの音として格別の意味や重さのある音であることが多く、

西洋音楽でも決して弱拍で表現するとは限りません。

でも、義務教育で弱起と教えてしまったのですね。

「弱起の曲」なんて言葉を覚えさせられたぐらいですから。ショボーン

 

その点、今の子供たちは小学校の音楽もリズムが豊かなものが多く、

「鬼滅の刃」やアナ雪に親しんでいるので。

この子供たちが大きくなって地唄舞を習う時代になると、この苦労は過去のものになるのかしら?

なんて考えたりしています。

少し西洋的な「裏」になるかもしれませんが。

それを言うなら、今の地唄や小唄などの日本音楽を平均率の音階でやってしまう、

これもいつの間にか普通になりましたものね。

忘れ去られるよりはよいのではないかしら?