太平洋戦争で1942年08月08日 - 09日に日本海軍とアメリカ海軍、イギリス海軍、オーストラリア海軍の連合国軍がで行われた第一次ソロモン海戦は、連合軍側の呼称として「Battle of Savo Island」と言われた。
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ただし、第一次ソロモン海戦から2ヶ月後に行われた日本軍側で「サボ島沖海戦」のことを連合軍側は「Battle of Cape Esperance」と呼んでいる。
日本海軍第八艦隊は、重巡鳥海を旗艦として先頭に、重巡青葉、加古、古鷹、衣笠、軽巡天龍、夕張、駆逐艦夕凪の順に航行し、16ノットに増速して一路ガダルカナル泊地を目指した。
各艦の距離が1.2kmのため、縦列陣形は前後に延びた。
17時00分、青葉偵察機より輸送船6隻炎上中との報告が入った。第八艦隊各艦は激戦に備え、航空燃料や爆雷を投棄した。更にニュージョージア島を通過した午後9時頃、照明隊の水偵を各艦から発進させた。
アメリカ軍の上陸部隊はその物資揚陸に手間取っていた。
連合軍の戦力は第八艦隊を圧倒的に上回っていたが、夜を徹して行なわれている物資揚陸作業と、日中の空襲により36時間にわたって戦闘配置が続けられ、乗員の疲労は厳しかった。また、8日午前中にブーゲンビル島近海で哨戒機3機が発見した日本艦隊について連合軍に三通の情報がもたらされたが、「ラバウルへ向かう」或いは「島嶼間の移動」と判断され、対策を怠った。
また、連合軍指揮官達は、輸送船団が丸裸になることから、連合軍指揮官達は、第八艦隊を迎撃するために米国とオーストラリア艦隊を派遣する案を早々に放棄した。
更に部隊司令官リッチモンド・K・ターナー少将(Richmond Kelly Turner/1885 - 1961)は、偵察機の情報より日本艦隊はガダルカナル島ではなく水上機基地建設のためイザベル島に向かっていると判断して、万が一日本艦隊が突入してきても護衛部隊で撃退できると楽観していた。
作戦会議の議題は、上空援護をなくなってしまったこの揚陸作業を如何に早く終わらせるかということに集中していた。
1942-08-07---ガダルカナル島の白兵戦で、日本軍が全滅した。
1942-08-07---米国軍が、ガダルカナルを侵略。
1942-06-05---ミッドウェー海戦が開戦した。