べつに、したい仕事もなく、いいかげんなシナリオを書いては、出版社に送ったことも何回かありました。(採用?されませんよもちろん)
就職活動もまともにせず、「はて、どうしたものか」と呑気にかまえていたら、大学4年も終わろうとしていました。
当然のことながら、両親がそんなドラ息子を許すはずもなく、仕方なく仕事を探しました。
条件は「肉体を酷使しなくてよい」「早起きしなくてよい」「満員電車に乗らなくてよい」。
この3つです。
なぜなら「したいこと」を探すより「したくないこと、できないこと(続けられないこと)」を避けたほうが仕事は見つけやすいものだからです。
正社員で、この条件を満たしたもの…。
それが「塾」でした。
2~3、めぼしをつけて面接に向かいました。
ラッキーなことに1つめで内定が決まり、気づけば卒業証書を受け取る前から働き始めていました。
こうして「もっとも遅く就職活動を始めた男」は、誰よりも早く働き始めることになったのでした。
その塾には(あるいは塾というのはそういうものかもしれないが)、変わった人やおもしろい人がたくさん働いていました。
僕もそうなのかもしれないんだけど。まあ、それは置いておいて…。
たぶん7年、働いたと思います。
2年目で本部の選抜クラスの国語を担当させていただき、3年目からは自薦で(ほんとに自薦したんですよ。ハイ!ハイ!やらせてください!って)、個別教室の責任者を4年やりました。
任せていただいたものに手を抜くのは性分に合わないので、一生懸命やったと思います。
まあ、情熱だけはありました。
でも、あるとき「ふっ」と肩の力が抜けて気づいたんです。
色々なことに。
「組織の論理」とか「塾の要件」とか「個人の限界」とか、まあ…その他もろもろに。
そんなわけで、僕は小手指という地元に「C.B個別学院」という塾をつくりました。
モットーは「自分で教えられるだけの生徒さんをお預かりして、生活ができればそれでよい」です。
良心的な価格にして、のんびりやっていこう、ってなわけです。
しかし、そうは問屋が卸さず、開校1週間で東日本大震災がやってきて、1年間鳴かず飛ばず。
大人の事情で「のんびりやる」わけにはいかなくなってしまったのです。
それでも、予定どおりにいかなかったことは僕の一生の宝物です。