1月23日

 

前回の続き、次の炭鉱街は本編の我路です

 

航空写真は1962年(S37)

 

我路は美唄鉄道沿線の商業の町でした

 

1914年(T03)に我路駅が出来、街が急速に発展したそうです

 

1962年には、びっしりと商店、住居が立ち並んでいますが

 

現在のグーグルマップ、緑が増え建物もスカスカです

 

建物は何軒が見えますが廃墟も多く

 

美唄市の令和3年11月の住民基本台帳によると我路町に7世帯8名

 

ご夫婦が1世帯で残り6世帯は老人の一人世帯と言う事か?

 

我路の駅前から散策スタートです

 

 

我路駅の駅舎は何となくこの辺に有っただろう場所は分かるけど場所が特定出来ない…

 

行った時は気づかなかったけど

 

これ上矢印

 

ゴミ箱か?なんて蓋を持ち上げてみたら重くて、中にはマンホールが有った、ご丁寧に除雪してるし

 

今気づいたけど、我路駅前の「消火用水」じゃね?

 

って事は駅舎はこの場所に建ってたんだね!グラサン

 

さて、気を取り直して

 

我路駅前に建っていた「山形屋旅館」(松葉旅館との説もあり年代で経営者が変わったのか?)

S34年の地図でも、上記写真の3階窓横にも、「山形屋」と読める

 

【同上写真と同位置】

現在の場所には…何もありません…強いて言えば、後ろに写る山の形が当時と同じか?

 

我路駅前、山形屋旅館前の道から我路郵便局方面を見る

 

商店が並んでいます、山形屋旅館のお隣の「〇に大」の建物は大沢とうふ店

 

【同上写真と同位置】

 

商店街は跡形も無く、道路手前の左に緩く曲がる所と、後方の山に面影が残る

 

山形屋旅館の裏手に建っていた「竹谷商会」

 

メイン通りの一本裏通りの雰囲気

 

【同上写真と同位置】

 

道路すら冬季は分からない…

 

後方の〇印の建物は、当時から有る「互楽館」

 

我路郵便局 1956年(S31)建築 2014年(H26)閉鎖
 

今も残る我路の繁栄が感じられる建物だ

 

壇蜜古画で撮影に使った建物です

 

郵便局の裏には高い煙突が建つ建物、銭湯があったらしい…

 

坂を上り電話局跡?この地区のインフラを1カ所で担った施設だったとか…

 

鍋か?洗面器か?「この先50M行き止まり」手作りの看板

 

郵便箱があり、この先に一軒の民家が有る

 

我路神社はこの季節、表の参道も、裏の抜け道も通る事が出来なかった

 

互楽館、我路では珍しく昭和30年代からの現役建物

 

美唄鉄道沿線まで下りて来た

 

人は8名しか住んで居ないけど、消火栓は除雪され火災時に使えるようになっている

 

サイクリングロードは、やっぱり廃止されてるって、

 

自転車専用道の看板に注意書きの札が付けて有った

 

「札付けるんじゃなくて看板撤去しろよ~!」って突っ込みを入れたくなるが

 

廃サイクリングロードでも美唄鉄道跡を残して貰えるのは嬉しい

 

我路は何度も来ているが我路駅ホーム跡には初めて来た

 

これだけ雪が積もると、ホームと線路の段差程度しか分からない

 

正面には「花菱」と呼ばれる料亭が建っていた

 

我路一条方面

 

この通りの両側にも商店が並んでいた

 

1962年(S37)の航空写真を見るとこの道が道道135のようだ

 

我路の最後の飲食店だった やきとりガロ

 

10年ほど前までは営業していたらしいです、我路で美唄焼き鳥を買ってみたかったね~

 

我路映劇、映画館の客席は木造だが、可燃物のフィルムを扱う映写室は耐火構造だったのか

 

コンクリート製の映写室だけ残っている、スクリーンに向かって投影する窓が映写室らしい

 

 

冬の我路、なんか好きなんだよな~堪能出来ましたよ!グラサン

 

我路の探索は終わり、次は住民基本台帳によると人口「ゼロ」となった東美唄町です!

 

 

つづく・・・