じろうさんの徒然日記

じろうさんの徒然日記

自分のことなのに、知れば知るほど不思議な自分。状況は変わらずとも、景色が変わる、気分が軽くなる。そんな日々のつれづれをつづります。


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こんにちは!
すっかり秋めいてきましたね。
おとといの夜、急に寒くなって、ちょっと体調を崩してしまいました><

季節の代わり目、気を付けたいと思います^^




さて、先日、自分のことで面白い出来事に遭遇しました。

ここずっと、ブログで書いているように、
自身の想念観察を続けていた最中での出来事です。

とある仕事の案件で、業者さんにwebページのフォームから
業務の委託をお願いしました。

こういった作業は日常でもよくあるかと思います。

どこかに問い合わせをしたり、感想を書き込んだりする
あのフォームです。

今回は、添付の資料もあり、画像や依頼内容、テキストなどを
一緒に添付して、送信しました。

この作業は定期的にあるので、いつも、添付忘れなどないように
念入りにチェックするほうなんですね。

なのですが、

翌日、先方の業者さんから、

「画像ファイルがないようです、送っていただけますか」

という感じのメールが届きました。

なんの変哲もなく、

画像ファイルがなかったので送ってほしい。

という依頼ですね。

今ならわかります。

今なら。




しかし、そのようなことがないようにと念入りにチェックした僕は、
ここである「スイッチ」が入ってしまいます^^;

なぜか、間違いを指摘された
お前はミスっているといわれたような気分になったわけです。

そうなると、僕の自我はめっちゃ反応します。

「そんなはずは(断じて!)ない!」

と(笑)

もちろん、ちょっと冷静になって、「画像」とあったけど、
ほかの内容も全部送っていたので、「画像」だけ抜けてたのだろうか、

とか、

加工をお願いした画像があったので、意図が伝わってなく、
その「画像」のことを言われているのだろうか、、、

とか、    いろんな可能性を探り、確認しますが、
自分が、”送っていない”という可能性は微塵も考えません^^;

何度も確認したと思ってるからですね^^;

つまり、

自分はミスしていない!
間違っていない!


という正当性を主張したい
相手にわかってほしいと、やっきになっているわけです><

なので、すぐにでも返信しようという思いにとらわれます。

メールを開封してから、
次の打合せまであんまり時間なかったのですが、
可能性と、添付ファイルの再送を、ともかく送信して、
済ませてから移動だったのでした、、、、




・・・はい。




ということで、今回のことは、

なにかの出来後に対し、自動反応している自分の躰

これを観察するよい機会になりました^^



もう、どうにとまらない、やめられない。

どこかのお菓子のようです。




なんとなく伝わりますかね。

もしかしたら、同じような出来事に、同じように反応される方もいらっしゃるかもしれません。




繰り返しますが、相手のかたは、

送られてくるはずのものがなかったので、もう一回送ってほしい

という依頼をしているだけです。




そして、僕の中にある善悪判断

「ミスしてはいけない、人様に迷惑をかけてはいけない」

というジャッジ価値基準プログラム回路が、瞬時に、勝手に、作動し始めるわけです


「俺はミスってない!間違ってないぞ!」

と^^



思い返すと、以前、web関連の企業にいたときに、ミスしてよく怒られていたし、
後輩にも、よく注意していた記憶があります。

幼少期も団体行動が苦手で、連帯責任や、自分のミスが全体に及ぼす影響に対して、恐怖感があったように思います。

 

お前のせいで
とか、同級生とかに、言われたか、言われている友達をみて、そうならないよう恐怖してたのかもしれませんね(記憶ははっきりないですが)。

そのあたりの概念、想念が根強く、潜在意識に残っているのでしょう。


個人的解釈になりますが、自動応答される、自分の行動はもうどうしようもないと思います。

それを「またやってしまった;;」と自分を責める必要もないと思います。

ただ、ただ、単に、自分には、

そういう回路があるんだなぁ

と、観察する、眺めて、気づく

このことはとても大切だと思うようになりました。



そして、この観察を続けていると、
最近では、ほんとに、自分の行動って、
自分の意識で動かせている部分って
ほんの一部にすぎないんだなぁ
と、思えるようになりました。


ですが、その自動応答の行動の裏には、深部には、
自分が確固としてもっている、観念、思い込み、善悪判断があります


それを書き換えることで、自分の行動を理想の行動へと促せるようになるのでは?
というのが、いまの自分の考えですが、
いまは、とりあえず、気が付くだけでも
かなりの恩恵、変化を感じます。



お、また、この想念が反応したぞ。



と、冷静になれるからです。

で、どのように反応したくなるんだ?君は。

と、他人のように自分を見ることができ、

自分の反応が、おかしく感じるときすらあります^^

今回のケースで、もし、僕が、

相手の言い方、書き方が悪い
人がミスったみたいに、言うな


とか、相手、つまり外界にばかり意識を向けていたら、
ずっと同じことが繰り返されるということになるでしょう。
 

自分の中にある、自動応答のプログラムは変わってないからですね!


意識は常に自分側

行動を眺める、観察する。

面白い発見があるかもしれません^^


ではでは、また!

じろう


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こんにちは!
秋風を感じるようになりましけど、まだまだ暑いですねぇ。

えと、ここ最近ハマっている(?)
自分の中にある、善悪判断を見つけて遊んでいるのですが、
渦中でもうひとつ氣づきをもらいました。

それは、善悪判断を持っていると、

反応的、受動的、いわゆる


受け身


になっていることです。


これは悪い感情のときはもちろんですが、
よい感情のときも一緒だろうと思います。

それは、
 

 

外界でこの出来事が起きた

 

”から”

 

私がこう感じる

 


という理屈は変わらないからです。


それを自分が起こしたとは思っていないわけです。

(今回、言いたいことを、うまく伝える自信がまったくないのですが・・・)



たとえば、ある資格や名誉ある賞を、

がんばって
がんばって
がんばって
がんばって
がんばって

受かった、授かったとします。

これまでは、

自分ががんばったのだから、
自分の力で得たんだ

という風に思っていたのですが、
ここに善悪判断の思い込みが入っています。

受かることが、自分にとって

良いことだ

という思い込みです。

100%信じきっています。

ですので、同時に、

落ちたら最悪だ、私の人生は終わりだ

くらいに、悪いほうの世界も同時に「自らが」創り出しています。

たいていの場合、(私のことですが)、このことに氣がつきません。

ですので、無自覚に「執着」が生まれます。

落ちてはだめだ」という、変な力がはいっているのです。

これが、いわゆる反引き寄せとでもいうのか、
思ったことが手に入らない大きな原因の一つなのでは?
とも思っています。

つまり、

どっちでもよいよい^^

という、中道、悟りの位置から、ほど遠くなってしまっているのですね。



ですので、


自分ががんばって、

受かって(求めた結果を得て)、

大喜びする。



これを当たり前を思っていたのですが、
最近はいささか受動的に感じるようになってきたのです。

繰り返しになりますが、

そのことが、できたから、起きたから喜んでいるわけですが、


自分が自在に起こせる


とはおもっていないわけです。






と、思われるかもしれません、、、^^;

やはり、今回は、いままで以上にまったく何がいいたいのか伝わる気がしません(笑)

僕もきっとまだわかってないのでしょう。



それでも、書きたくなるなにかを感じます。
(ですので書いちゃいますw)

 



いまの自分は、

善悪判断を見つけることは日々、多少はできるようになったかなぁと思いますが、
それを外せるのは、まだごくわずかです。

外せたか、外せないでいるかは、
同じ現象に遭遇するとすぐにわかります。

外せているときは、驚くほど、まったく何も感じなくなります。
不快も、もちろんですが、喜びのほうも冷静に受け止めるようになります。

外せていないときは、意識では、

どっちでもいいんだ

と言い聞かせてはいるのですが、
感情は不快も快も反応しています

躰はわかっていないわけです。

これは外せていません(と僕は理解しています)。


ちなみに誤解があるといけないのですが、
喜びも感じないほうがいいの?、とか、思うかたもいらっしゃるかもですが、

そう言いたいのではありません。

うれしいときはおもっきり喜んだらいいですし、
不快すらも、思いっきり感じたほうがよいと思っています。

躰はその感情を体験したがっているわけですから。

ただ、そのベースに意識の善悪判断があるのであれば、
とっぱらったほうが、圧倒的に自由に動けるようになる(と僕は感じます)
ということがお伝えしたいのですね。


ですので、善悪判断をクリーンにしていくことは、

反応的な」自分がなくなることで、

本来の自分のしたかったことを純粋にできるようになり、

主体的に」創造していくほうに意識が向くようになる。


ということでもあるかなぁ、と最近思うようになりました。


あれをしなくては、
これをしなくては、
あぁ、またこんなことがおきてしまった
どう対処しようか

という、受動的な姿勢から、

次はなにを創ろう
なにを起こそう
どういったことが起こるんだろうということを、ただ、ワクワクして待てる。

そんな主体的な姿勢に大きく変えてくれることを氣づかせてくれます。



とりあえず面白いので、続けてみます^^



ではでは、また!

 

じろう


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こんにちは!

気が付いたらお盆前!

ブログほったらかしでしたが、
ずっとなにをしていたかというと、前回の記事ら辺で気がついた

善悪判断

について、ずーーーーと、日々の生活の中でワークをやってました!


そしたら、あるわあるわ・・・!


判断
判断
判断
判断
判断
判断
判断
判断


・・・・ふわぁ!?


たとえば、ですが、
いきつけのコンビニの店員さんが背が高くて、声をかけました。
普通に談笑して終わったのですが、そのあとになんとなく違和感。




・・・?




あ、そっか。


僕も(店員さんも)、




背が高いのはよいこと




の前提で談笑をしてたんだ。
ということに気がつきました。

僕は褒めて、相手は謙遜する。

なるほど、
つまり、反対の意識、





背が低いのはよくない





という思い込みが隠れているわけですね。

たしかに、僕は中学生のときにバスケットボールをやっていて、
結局レギュラーになれなかったのですが、
身長ほしいなぁと思っていた時期があります。
(いまはそうでもないですが)

 

 

いま思えば、僕より低くてもレギュラーだった子もいたし

身長は関係なかったわけですが。



こんな感じで、日常生活のいたるところで、
突然の予定変更や、天候不良、ただ道で人とすれ違うだけでも、



心がざわっとする

なんだか不快を感じた

喜ぶ(ということは反対のよくない想念を持っているのでは?)



などなど、自分のささいな感情の変化に意識を向けて、

自分の中にある善悪判断を見つけてリリースを繰り返してます。

 



しっかし、たくさんあるし、リリースできない、しにくのもあるし
死ぬまでに終わるのかわかりません(笑)



一応、私が、なぜそんなことをしているのか、

について軽く、おさらいになりますが、

触れておきますと、
 

 


嫌いな人、もの、ことは、
その対象、つまり外界にいくらアプローチしても、
あるいは避ける、逃げたとしても、

それを「よくない」「悪い」と思っている
自分の価値観を見つめなおしてリリースしない限り、
その存在は消えることなく、自分の世界の中では在り続けるわけです。



恐れ」も同じく、
そうならないように一生懸命、外界に対処しても、
なぜそれを「恐れ」ているのか、

社会的に、とか、人として、とか、

なぜ悪いことだと思っているのかを
見つめなおしてリリースしない限り、
永遠、その恐れのなかで生きることになります。


外界は自分の内面が持つ価値観の反映なわけで、
これが、外界に対処を施しても、
延々同じことが繰り返されるからくりだということを、
僕なりに理解しました。


ですので、
意識するは自身の内面で、こちらを変えていくことで
外界に徐々に反映され、見える世界が変化していくわけですね。
 

 




これまで、ずっと意識が外向きでした。

これを内向きに変える時期がきたのだと、

そう思うようになったのです。

 

 

 



そして、やってみて感じたのですが、
この善悪判断のリリースは、
絶対的安堵感、安心感、幸福感の向上につながり、


それはすなわち、
自他への貢献意識、行動力、発想力、モチベーションあらゆるものが向上し、
本来の自分に少しずつ、戻っていく感覚を得られます。




反対に、この善悪判断を持っていれば持っているほど、
本来の自分の力が発揮できず、どこかで制限がかかっていた・・・

ということも体感的に理解できるようになりました。




リリースについては、まだまだ手探りで、
これだ!というものはないのですが、

善悪両面の判断に気がついたときに、パッと外れるのもあれば、

ずっとモヤモヤして、
ポイントがずれてる気がするなぁ~、とわからないのもあります。

気がついたけど、パッとほずれなかったものは、
善と悪と両方のメリット、デメリットを思いつく限りあげていくと、
途中で天秤が平行になり、


どっちでもええやん

と思えるようになるときもあります。



これも、いやいや、この「悪」にはメリットはないだろう~><
と、ジタバタ、悶絶するときもあります(笑)

でも、必ずあるんですよね。
完全に僕の死角に入っているだけで^^

 

 

あと、注意点・・・?

といいますか、僕自身が気を付けている点として、

 

善悪判断をもっていてはいけない


という思いがあるのもまた、

 

善悪判断

 

になりますね(笑)

 

この、摩訶不思議なトラップ?がなんか妙な感じですが^^;

 

これ、持ったままだと、判断基準を外せなかったときに

すごいイライラしたり、落ち込んだりして、

波動が下がり、本末転倒な状況も^^;

 

 

持っててもいいんですよね。

個人的にはそう思います。

 

でも、外せたら、もっと本来の自分の力がだせる

 

 

 

そう理解できたとき、僕の場合は、

はずせるものからはずしたいなぁ

と、思ったりしたわけです^^

 

 

 

 



記録的に暑い日が続きますが、
みなさまも体調等お気をつけて・・・!!




ではでは、また!


じろう

 

 

 

 

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