この世の中は強い者が弱い者の上に立ち、悪が栄えているように見えることもあるが、
それは一時的なことに過ぎない。
老子は「天の網はとても大きく、網目は荒くて大きいように見えるけれども、
いかなることも、取り逃がすことはない。何事も漏らすことなく、やり遂げていく」と教えています。
いっぱんに「疎にして漏らさず」と表現することが多いですが、同じ意味です。
天の道、天の法則は、普遍的に行き渡っているので、悪はいずれ報いを受けることになります。
報いがないと思えるのは、まだその時が至っていないだけです。
「お天道様は見ている」ということで、いつか帳尻を合わせて下さいます。
人は知らなくても、天だけは知ってくれている。幕末の開港論者である
佐久間象山は、次のように詩を吟じています。
「謗(そし)る者は汝の謗るに任す。嗤(わら)う者は汝の嗤うに任す。
天公(天の神)本、我を知る、他人の知るを覓(もと)めず」
天網は恢恢として、疎にして失わず。/・・・・第73章