高雄左營區の北、右昌の人。台湾の航空史上5番目のパイロットであり、最初の民間機所有者であり、 最初の飛行機事故の犠牲者。 

馬場町紀念公園楊清溪紀念碑

ナナナ、なんとカワユイ。

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八条院で御座います。ご機嫌いかかがでしょうか、インターネットが社会を変えてしまったように飛行機も人々の生活を変えました。それは当初は軍事目的でしか考へていなかったものを民間利用する為に活躍した人々がいたからです。

日治時期、8人の臺籍人が日本の飛行訓練を受け、民間航空パイロット資格を取得しました。謝文達、徐雄成、陳金水、彭金國、楊清溪、賴春貴、黃慶、張坤燦です。

1934(昭和9)年8月、当初楊清溪の飛行計画は、東京から離陸し、朝鮮、青島、上海、南京、福州を経由して台湾海峡を通って台湾に到着することでした。しかし中華民國政府は楊清溪を日本國籍と見なして許可しませんでした。※※ナンデジャ!(そもそも中華民國では臺籍人は日本人?)

そのため9月からは台灣各地を環島飛行しました。母校臺南長老教中學及高雄の故鄉を低空飛行,母親の墓に上空から花束を投下しまして、熱烈歡呼を受けたとあります。

1934年11月3日、彼は飛行事業の贊助者へ感謝の為、最初に臺中の富商鄧錫明を乗せた、着陸後二度目は大稻埕北街中和商行の老闆王德福を乗せて臺北上空を二周した。

8時19分着陸に失敗、東園町の菜頭園裏に墜落。楊清溪はその場で亡くなり、王德福は病院へ移送中に亡くなりました。楊清溪の志は叶わず27歲で去りました。,

日本國遞信大臣は楊清溪へ一等飛行士の名誉を追贈しました。

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尚、現在萬華區には南機場という地名が残っていますが、現在の青年公園辺りに飛行場があったそうです。萬華區東園街が青年公園西側にあります。

 

「星の王子様」の作者、サンテグジュペリの職業は飛行士です。「南方定期便」や「夜間飛行」「人間の土地」など、(上から目線じゃなく)上空から見た人間社会の描写は若者の心を揺さぶるものでした。

船や機関車に飛行機は小さな男の子が好きなものですが飛行機と言いますと、なぜかゼロ戦に神風を大人は連想します。飛行機の歴史はどうしても戰爭が絡んでくるのです。サンテグジュペリも第二次世界大戦で召集されP-38偵察機で出撃中に行方不明となりました(1998年残骸発見)。立川・ロンドン間で当時驚異的なスピード記録を達成した「神風號」の飯沼正明も軍の指揮下におかれ太平洋戦争勃発直後に南方で不自然な死となっている。

Ootori

日本における民間飛行機の祖は奈良原三次。1911年(明治44年)5月に自作の「鳳号」で飛行に成功、千葉稲毛海岸に民間飛行場を開設した。そこへ弟子入りした伊藤音次郎は1915年に伊藤飛行機研究所を設立し、後に習志野市鷺沼海岸に移る。育成した飛行士の中には、日本最初の女性飛行士である兵頭精などがいるが、1919年には台灣籍最初の飛行士、謝文達がいる。謝文達は1923(大正12)年台灣議會請願運動で、「台北號」を操縦し東京市上空からビラを撒いた。

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現在中華民國空軍の英雄は杭州筧橋中央航空學校の秀才、四大金剛の一人、高志航とされ、空軍基地は志航基地と呼ばれているが、彼らは1937(昭和12)年8月14日に上海を無差別爆撃してフランス租界にいた華人やフランス人を惨殺した連中です。(この時日本人に被害なし)

バクダン落としたヤツとビラ撒いたヤツとドッチがエライか、中華民國ではバクダン落としたヤツがエライと言ってることを台灣人へ誰か教へてやってくれ!

稲毛公園民間航空発祥之地

所沢航空発祥記念館へ行って軍用機を子供に見せるか、民間航空の発祥地稲毛の浜で「星の王子様」の夢を見るか、ドッチが教育に良いか、ワカリマスよね。

(楊清溪紀念碑及び南機場の情報提供は湯けむり泉遊会のジイさんよりいただきました。)    ごきげんよう。