シリーズ「京都の秋を撮る」~曼殊院 | 写真家 jin-andoの徒然日記~写真に魅せられて

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  京都市左京区一乗寺にある仏教寺院「曼殊院」は「竹内門跡」とも呼ばれる門跡寺院(皇族や貴族の子弟が代々住持となる別格寺院)でもあり、青蓮院、三千院、妙法院、毘沙門堂門跡と並んで、天台五門跡の1つとされており、曼殊院の延暦年間(728年~806年)に、天台宗の宗祖である「最澄上人」が、比叡に鎮護国家の道場を創建したのが始まりだとされています。

 

  サンスクリット語で「妙薬」「愛楽」を意味するという「曼殊」。彼岸花である「曼珠沙華」に由来していると言われています。「天上の花」とも言われる曼珠沙華。「吉兆しとして、赤い花が天から降って来る」という、仏教の経典に由来しているそうです。

 

 

  少し上り坂になった並木道の参道をしばらく歩くと、石垣と白塀をめぐらした山門が迎えてくれます。門跡寺院としての格式の高さが伺えるお寺は、「小さな桂離宮」とも言われ、お庭も素敵。有名な枯山水庭園では、白砂の向こう陽を浴びて真っ赤に色づいたカエデが輝きます。

 

 

 

 

 

 

連載 「砂上の足跡」~雑感6 心に深く刻まれたクラシック音楽 その2

 

■□■ チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 ■□■

 この交響曲ほど先入観におおわれてきた作品は珍しいかもしれない。ロシアを代表する作曲家ピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)自身の指揮によって世界初演されて1週間ほどしか経たないうち、53歳で突如逝去。これがチャイコフスキー最後の大作となったことから、あまりに突然の死がさまざまな憶測を呼ぶことになった。
 彼が亡くなったのは、生水からコレラに感染したためとも、その余病によるためとも言われたが、巨匠逝去の一報が衝撃をもたらすとともに、その直後から「チャイコフスキー自殺説」が囁かれはじめる。(現在では研究の成果により否定されている)
 このあまりに強烈な感情に満ちた交響曲は、人生に別れを告げる覚悟を決めた遺書のようにきこえたのかもしれない。没後ほどなく開かれた追悼コンサートで「悲愴」が再演されたとき、会場を埋めた聴衆から嗚咽が洩れたというのもうなずける。
 しかし、チャイコフスキー自身はある手紙の中でこんなことを書いている。
「‥‥この交響曲には標題性はあるが、それは誰にとっても謎であるべきだ。想像できる人に想像させよう。ここにおける標題性は、全く主観的なのだ」
 画家が絵画をもって・詩人が言葉をもって自己の内面を顕したように、チャイコフスキーは音楽、「交響曲」という表現方法をもって「人生」といったものに対する自己の考えや内面を表してきた。この曲を、彼の人生をめぐる走馬灯と解することもできるかもしれない。――甘美な思い出に心を馳せるような第2楽章、自らの芸術の力の勝利を鼓舞するかのような第3楽章、そして終末への慟哭の第4楽章。ここには死の予感と絶望があるだけ、と解することも可能かもしれない。彼の謎掛けの答えを私たちが知るすべはないが、ひとつ言えるとすれば、この音楽が、個人的・主観的な内面の記録であるにもかかわらず、普遍的な問いを私たちに投げ続け、私たちの内に響き続けているということだろう。


つづく

 

 

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