「悟り」ってなーんだ?

 

っていう積年の疑問に終止符を打つべく

 

「悟り」を定義しちゃおう!

 

とお元気に驀進中です~w

 

 

 

で、「定義」はこちらw

 

「悟り」とは「特殊で苦しい修行を経て仰ぎ見る、特別にして深遠なる何かw」

ではなくw

 

目に見えない世界(フォーカス27以上)を正確に理解した上での「気づき」であり「心境の変化」である

 

 

 

ヘミシンクの「フォーカスレベル」の概念が大いに役に立ちますので確認してきましたが、今回で最後の確認です

 

このへんになりますと「読んでるだけで気持ちいいw」文章でして、「悟りとか語るのもバカバカしいやね」って、ブログを書くモチベーションが萎えてしまいそうですw

 

 

 

まとめてどうぞ~!

(引用はTSTさまですm(__)m)

 

 

 

F34,35

 

ここはロバート・モンローが『魂の体外旅行』のなかで、「大集合(ギャザリング)」と呼んだエネルギー領域です。

近隣の別の生命系から来た宇宙知的生命体たちが、地球で起こる大変化「アース・チェンジズ」を目撃しようと、地球の周りに集まっているといわれるところです。

その宇宙知的生命体たちとコンタクトを取り、さまざまな情報をもらうことができる場合もあります。ま

た、このフォーカス・レベルは、トータルセルフ(別名IT:I/There)が存在する領域といわれ、自分のトータルセルフへの理解を深めることができます。

 

 

 

F42

 

この領域は、「I/There(IT)クラスターのエネルギー」と定義されているところです。

ITクラスターとは、自分のITが、自分と関係があるほかのITとつながり集合体を形成しているものです。

F42では、自分の存在を「すべてつながったITクラスター」と理解することができます。

一つひとつの存在がそれぞれに寄与しあっており、全体でひとつの自分自身なのだという意識です。

その個々の存在たちにコンタクトすると、彼らの意識や知恵を自分のなかで確認することができる上、宇宙のどこかで、自分を表現している存在がいることもわかります。

それを全体的に統合した存在として知ることも、その一つひとつについて知ることも可能であり、つまりはこの領域の探索も、ほかのフォーカス・レベルでの探索と同じように、自分自身を発見していくということにほかならないのです。

そういった意味でも、このF42は、自分というものについて、何かを思い出したりするのに最適なフォーカス・レベルだといわれています。今までの各フォーカス・レベルでの活動がこの領域で思い出され、つながることも多いのです。

モンローは自分のITクラスターに接したときのことを、次のように語っています。

 「そこにあったのは、何千また何千という糸だった。どれもエネルギーに満ちて光を発し、あらゆる次元で外へ外へと広がっている。私のITから!

その行き先には必ず他人のITらしきものが存在していた。これは、我々が経てきた人格をすべて合わせたものなのだ。

我々の考えた人や、我々のことを考えた人たちと結びついているのだ。なんてたくさん私は、この世で結びつきをもってきたのだろう……」

(『究極の旅』より)

 

 

 

F49

 

このフォーカス・レベルの定義は、「ITクラスターが無限の海のようにつながっているところ」です。

現在では、「ITスーパークラスターのエネルギー」と呼ぶことが多いですが、モンローはその状態を蜂の巣状につながる無限の海という表現をしたそうです。

モンローは、自分のITクラスターが目指す次なる場所を求めて、「源(グレイト・エミッター)」へと旅立ちます。源にたどりついたモンローはそこで《名前のわからない大きな存在》にこれ以上先に行くことを止められます。

その存在との会話から、その先にある、「孔(アパーチャー)」を抜け、我々の住む物質世界を形づくった創造的な力の根源である「彼方」へと旅立てるのは、ITクラスターのすべての側面を集め終わり、統合し、その側面たちの数限りない経験と愛という贈り物を携え「完全になった(真に一つとなった)」ものだけであることを理解したのです。(『究極の旅』より)

この領域では、太陽系を出て銀河宇宙へのアクセスという可能性を探索することができます。さらにモンローがたどった道筋を自分でたどることもできます。

「源(グレイト・エミッター)」や、その先の「孔(アパーチャー)」のエネルギーを感じてみてもよいでしょうし、さらにそこから「彼方」への旅立ちにチャレンジしてみてもよいでしょう。そこから何を得るかは、それぞれの体験です。

またここでは、ITクラスターの代表格であるクラスター・カウンシルから、いろいろな情報をもらうことができます。その手助けを受けながら、さらなる探索をお楽しみください。

以上、各フォーカス・レベルについてひと通り説明しましたが、あくまでここに挙げたことは可能性です。

自分にとってはどう感じるのかを確かめることが、探索なのです。そして、その探索の積み重ねから得たものこそが、可能性を越えた「既知」となるのです。

 

 

 

 

モンローさんが「源にたどりついたモンローはそこで《名前のわからない大きな存在》にこれ以上先に行くことを止められます」という体験をされたように、ここは基本的にガイドさんの導き、後押しがなければ行けないところです

べつに善悪とか優劣ではなく、肉体を卒業したら誰もがどうせ還るところなので、ガイドさんから「あなたは今行く必要はないかな」と判断されたら行かないってだけです

 

ブログ的には「F27が悟り」って言ってますが、F27以上のフォーカスを訪れたら、ある意味ホンマに終わりですw

何が終わりかwといえば、生きることの「恐れ」が無くなっちゃうわけです(恐れを感じることも、人生では大事な体験です)

このへんはどれだけ言葉で表現しようとも陳腐な言葉しか出てこないので、言った瞬間に空しくなっちゃう感じですw

 

頑張って言えば

「圧倒的な愛」

「これまで体験したことのない愛」

「生きとし生けるすべてのいのちの源」

ですが、もうほんとゴーヤ陳腐ルーでしょう?w

 

F27も十分に圧倒的な愛なのですが、それ以上のフォーカスレベルは「うわあ…まだあったんかーい!温かーい!」ってな感じですw

ここの存在さんたちは人間の身体のかたちはすでになく、当然ですが性別もありません

地球の人から見たら「全員神さま扱いw」されるでしょうw

F27はギリギリ「地球&人間サイド」のフィールドですが、F27から先は「地球&人間」からも離れます

あらゆるものは「いのち」をもって生きていて、そして「1つである」ことがいやがおうでも瞬時に理解します

 

モンローさんは「トータルセルフ」を「アイ・ゼア」と名付けましたが、ほんと素晴らしい名称ですw

ここへ行きますと「自分のおおもと」と出会うわけですが、もうなんて言うか波動が素晴らしすぎて「こちらおっぱい大好きでほんとごめんなさい」としか言えないのです(←やめとけw)

で、「自分のおおもとのおおもと」の「アイ・ゼア・クラスター」という清水の次郎長みたいなのにお会いしますと、いのちの仕組みのあまりの荘厳さ、美しさ、完璧さ、見事さ、精緻さ、清らかさにほれぼれします

街道一の大親分たあ、おめえさんのことだってねえ!ってうなるしかありません

 

 

 

ここまで来ますと、「悟りとは目に見えない世界(フォーカス27以上)を正確に理解した上での「気づき」であり「心境の変化」である」と言ってる意味が、なんとなーく分かるでしょ?w

 

 

 

 

【おまけ】

勇気がすごい!

 

 

 

 

【俺たちの聡太】

俺たちの聡太がタイトル「王位」を防衛しました~

パチパチパチ!

 

 

 

 

難解な終盤戦

俺たちの聡太の放った13角が「遠見の角」の格言通りの好手でした

 

 

 

 

これで王位3連覇

歴代最年少、最速でタイトル10期となりました~