おは仏教!
「神道の弱点」・・・
それは
死への「防御法」「対処法」がない!
ということでした。
ご存知の方はイザナミの死を思い出してください。
少し長いのですがウィキ先生より抜粋しますね。
「イザナギがやったこと」に注目して読まれてください。
分かりやすいように、イザナギがやった行いに下線を引いてみました。
イザナギはイザナミの死に涕泣したが、この涙から神がまた生まれた。
イザナギはイザナミを出雲国と伯伎(伯耆)国の境にある比婆(ひば)の山(現在の島根県安来市)に葬った。妻を失った怒りからイザナギは迦具土(加具土)神を十拳剣で切り殺した。この剣に付着した血からまた神々が生まれる。
また、殺された迦具土神の体からも神々が生まれた。
イザナギはイザナミを取り戻そうと黄泉国へ赴いた。
黄泉に着いたイザナギは、戸越しにイザナミに「あなたと一緒に創った国土はまだ完成していません。帰りましょう」と言ったが、イザナミは「黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、生き返ることはできません」と答えた(注:黄泉の国のものを食べると、黄泉の住人になるとされていた。これを「黄泉竈食ひ(よもつへぐい)」という)。さらに、イザナミは「黄泉神と相談しましょう。お願いですから、私の姿は見ないで下さいね。」といい、家の奥に入った。
イザナギは、イザナミがなかなか戻ってこないため、自分の左の角髪(みずら)につけていた湯津津間櫛(ゆつつなくし)という櫛の端の歯を折って、火をともして中をのぞき込んだ。するとイザナミは、体は腐って蛆がたかり、声はむせびふさがっており、蛇の姿をした8柱の雷神(八雷神)がまとわりついていた。
おののいたイザナギは逃げようとしたが、イザナミは自分の醜い姿を見られたことを恥じて、黄泉醜女(よもつしこめ)にイザナギを追わせた。
イザナギは蔓草(つるくさ)を輪にして頭に載せていたものを投げ捨てた。すると葡萄の実がなり、黄泉醜女がそれを食べている間、逃げた。しかしまだ追ってくるので、右の角髪(みずら)につけていた湯津津間櫛(ゆつつなくし)という竹の櫛を投げた。するとタケノコが生え、黄泉醜女がそれを食べている間、逃げた。
イザナミはさらに、8柱の雷神と黄泉軍にイザナギを追わせた。イザナギは十拳剣で振り払いながら逃げ、ようやく黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に着いたとき、坂本にあった桃の実を3つ投げたところ、追ってきた黄泉の国の悪霊たちは逃げ帰っていった。
ここでイザナギは、桃に「人々が困っているときに助けてくれ」と言って、意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)と名づけた。
最後にイザナミ本人が追いかけてきたので、イザナギは千人がかりでなければと動かないような大岩で黄泉比良坂をふさぎ、悪霊が出ないようにした。その岩をはさんで対面してこの夫婦は別れることとなる。
イザナギは黄泉の穢れから身を清めるために、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら;現在の宮崎県宮崎市阿波岐原町)で禊を行った。衣を脱ぐと十二神が生まれた。
(ウィキペディア:「神生み」の頁)
とにかく必死の逃走劇です。
注目すべきは
「怨霊に対して逃げるだけで、戦っていない!」
ということです。
神であるイザナギが、死んだイザナミにかくも右往左往するのはなぜかと言えば
死への「防御法」「対処法」がない!
からにほかなりません。
イザナギたんがC1に戻ってやったことと言えば
「大岩で出入り口をふさぎ」
「穢れから身を清める」
これだけです。これだけなんですよ?
「怨霊」と化したイザナミへ何の対処もしていない!ことを確認されてください。
ちなみのちなみに、「古事記」では多くの神々が「まぐあい」をして生まれています。
ところが、最高神のアマテラスは、父のイザナギが「イザナミの死の穢れを清めている」ときに生まれています。
穢れの中で「死の穢れ」は最大のもので
さらに「最大の穢れを清め」ているときに誕生したので
これはなかなかニティに後世に影響を与えているのではにゃいかと。
・・・さて、話を前回まで戻しましょう。
「死への防御」といえば、とくに
「天皇の死への防御法」
がないので
何度も遷都を繰り返す事態になったのです。
イザナギが怨霊から逃げるしかなかったのとまったく同じ構図で
「穢れ」た土地から離れるしかなかったのですね。(戦っていない)
でも、それではいつまでも都市の発展はなく
政治を行う上でも非常に不便でもあったわけです。
そこで当時の貴族たちも「どうしようかにゃあ」と悩んだはずです。
その答えの一つが「仏教の導入」でした。
ここでまた確認ですが、
「神道」と「仏教」は全然別の宗教!
ということです。
神道が、日本古来から語り継がれている日本独自の神話に基づく民族宗教であるのに対し、
仏教は、お釈迦さまが悟られた境地・口伝をのちの弟子たちが文章にまとめたものを、聖徳太子の時代に物部氏と戦争までして貴族間に取り入れた海外の宗教です。
これらが「融合」していくところに(←とても大事)
日本人独特の「宗教のごった煮観」を感じざるを得ません。(よい意味でね)
貴族の間に仏教が重みをなすにつれ、仏教が政治に使われだすようになりました。
持統天皇は、自分の遺体を仏教式に火葬し、遷都を行わないという決断をしました。
(実際はその後も遷都は続いたが)
それから100年後には「奈良の大仏」が、国家事業としてつくられました。
国を護る「護国」の発想ですが、これは藤原氏が一族の光明皇后を立てるために、邪魔だった皇族の長屋王を滅ぼしたことが原因でした。
ところが、その後いわゆる「藤原4兄弟」が立て続けに死んでしまい、長屋王の怨霊を鎮めるために仏教を利用したというわけです。(実際は流行り病の天然痘)
イザナギたんの「やったこと」を思い出してください。
イザナミの怨霊から「逃げる」だけで「戦わなかった」ですね?
仏教を利用することで「怨霊を鎮める」
すなわち「怨霊と戦う」ことができるようになりましたん。
「火葬」することで「死の穢れ」が解決し!
「大仏建立」で「怨霊を鎮める」ことができました!(やれやれ)
にゃんと!
仏教によって「神道の弱点」すなわち
「死の穢れ」
「怨霊鎮魂」
を補うことができるようになったのです!
【おまけ】
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