選手気の毒な平昌オリンピックと、幻の盛岡オリンピック秘話。 | 暫定・綴れば愉快だ宇都宮 熱視線blog(旧・せんだい熱視線 ジミ都市blog)

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異常な強風と寒さに耐えながら、連日熱戦が行われている

 

平昌オリンピック

見ていると、色々問題があるようで・・・選手を大事に考えているオリンピックでは無いね(苦笑)。

 

競技の開始時間も酷いもので、フィギュアはアメリカで、スキージャンプはヨーロッパで人気があるとかで、それぞれ欧米の放映時間に合わせているため、早朝だとか夜遅くのスタートになったと知りビックリ。

 

開催国の時間に合わせなよ・・・

 

ホントに欧米は勝手だよね(怒)。

 

選手が最高のパフォーマンスを発揮出来る舞台を提供出来ないなんて、もはやオリンピックじゃないよなあ。。。選手の人達が気の毒で仕方無い。。。

 

さてさて、話変わって岩手ケンミンなら比較的知っているお話を・・・。

 

20年前、長野オリンピックがあったけど、この時は元々日本での開催が有力だったのよね。遡る事30年前、国内候補地が4都市名乗りを上げ、JOC総会で初めて投票で選ぶ事になったのを覚えているだろうか?

 

その4都市とは、最有力の長野旭川山形、そして・・・盛岡!(当時、結構盛り上がっていたよ)

 

長野は行政主導で誘致活動を進めていたのに対し、盛岡は市民が立ち上がり、行政を巻き込み、凄いムーヴメントを巻き起こし、ケンミンぐるみで誘致活動をしていたのを覚えている。(その頃、僕は高校生だったけど、何となく長野だろうな~と見ていたな)

(※岩手の昭和 なぜ?どうして? より)

実は大逆転で盛岡決定説があったのを聞いた事がある。

【根拠その1】

JOCの事前調査で、各会場のコンパクトさ雫石スキー場のコースが高く評価された。

 

【根拠その2】

当時の柴田勝治JOC会長岩手県出身で、ロビー活動がし易かった。

 

だけど、結果は長野全45票中34票も集め圧勝!盛岡は2位とは言え僅か7票旭川4票山形0票・・・この時点で実質長野オリンピックが決まった。

 

この日、僕は夕方前だったかな?放送室で情報をキャッチし、すぐに盛岡が敗れた事を速報で全校に流すと、あちこちから落胆の声が聞こえたのが忘れられない。その位、盛り上がっていたんだね。

 

僕が感心したのはJOCの柴田会長、私情に流されず、公正な目で見ていたから。彼が冷静にこう言ったのが印象的。

 

冬のスポーツは長野に歴史がある。盛岡はニューフェイス、これからだ。

 

数日後、同時に誘致活動していた世界アルペンが決まったが、開催は1993(平成5)年悪天候の連続で日程が再三変更され、選手達を戸惑わせた。オリンピックより小規模だからか、そこまで盛り上がってなかったように思える。(帰省した時、家族や友人は全く話題にしてなかった)

 

以来、盛岡が冬のスポーツ大会に力を入れるようになったかと言われればと首を傾げざる得ない。長年の景気低迷で、それどころじゃ無くなったんだろうけど。。。

 

いつかまた、再び立候補する日は来るのだろうか。。。