戦後は余生と三島由紀夫は言ったらしいですが、こちとら27で人生が終わると半ば信じていた(痛い)のでそこから十数年私も余生をすごしているのでしょうか。
戦争前夜のような世相の話は一旦置いときまして、10代の自分は本当に愚かでした。。まあ今も変わらないと言えばそうなのですが、東京出てヴェルヴェットアンダーグラウンドみたいバンド組んで世界中をライブしてまわり、27の頃にはジムモリソン、カードコバーンのように死ぬのだと本気で思ってました。バンド組んで世界へ云々の箇所は実現しなくても27に死ぬというのはかなり確信を持って信じておりました。というか27歳以降の自分というのが全く想像出来なかったんですよね。ハイ、これが中二病というやつでしょうか。
ロックミュージシャンの伝記映画を続けて観たせいでそんな昔のことを思い出しました。アウトキャストのアンドレ3000がジミヘン演じた映画とカードコバーンの最後モチーフにした「ラストデイズ」。「ラストデイズ」は学生時代観たことがありそれ以来久々に観たのですがまあ痛々しい映画ですよね。当然昔の方がカートコバーンに感情移入して観てたんだと思いますが、、
自分はカートコバーン神格化してまして、一時期メールアドレスにカートコバーンて入れましたもん。(痛)
本日10月26日oasisが来日し東京ドームでライブしているのですが、oasisは自分の中でニルバーナと対になるバンドのイメージなんですよね。みたいな事考えておりましたら奈良美智さんがおんなじような事Xで書いてました。
oasis、オアシス、オゥエィシス。表記はまたどうでも良いですが、90年代以降もっとも成功したバンドでしょう。ギャラガー兄弟のキャラクターの立ち方、マスクも良い、何より馬鹿みたいに分かりやすいメロディの曲群。私も大好きでした。リアルタイムで体験したのはビーヒアナウ時で、初めて観たのはヒーザンケミストリーの時でした。
オアシスも常にずっと人気だったわけでなく、私が初めてライブに行ったヒーザンケミストリーの時は、周りにオアシス好きだとは中々言いにくい状況でした。2枚目以降、アルバムは出すたびに評論家からの評価は下がりというか、ビーヒアナウ以降のアルバムは評価の対象にもなってないような印象でした。端的にインディーという枠を超えて売れすぎたとうのも原因の一つであると思います。比較対象がいないというか、「進歩的な」ロック好きがシリアスに語る存在ではなくなっていたんですよね。私はこれまで述べてる通りオアシス大好きですが、彼らの言い分も理解できました。曰くリズムに面白みがなく、ただの演歌じゃねぇかと。
ノエルが全くリズムに無頓着だったわけでなく、初期にはマッドチェスター影響化の曲もありますし、6枚目のアルバムの先行シングルライラのライブ映像を酔っ払いながらダーツバーで見た時、ついにオアシスも縦揺れから、横揺れを獲得したと思ったものです。再結成前のラストアルバムである『ディグ・アウト・ユア・ソウル』はリズム面で更に冒険を進めた意欲作でした。当時のレビューでcanやドクタージョンなどの名前が引き合いに出されてたような気がします。オアシスのレビューでcanですよ!個人的にこのアルバムは次の段階へ登るための過渡期の作品の印象が強く、オアシスがその次の姿を見せる事なく解散してしまったのはすごく残念でした。(ナンバガのラストアルバムも似た印象です)
現在再結成を果たし、リアルタイムでオアシス知らない世代からも圧倒的な支持をうけ絶賛ツアー中という最高の状況でございます。新アルバム作るんですかね。聴きたいような、聴きたくないような。
ダラダラと書き連ねましたが本稿の趣旨としましては健康に気を遣って長生きしようぜ(LIVE FOREVER)てことになります。27CLUBに憧れちゃダメゼッタイ。
