春の始まり | きょるんきょるんo(*°ω°*)o






どこになにに縋ればいいの。新しいものを求めては失くしてゆくそんなの嫌で、でも求めなきゃどんどん変わっていくし失ってくし。状況もちがうし。勇気もないのかも。過去に縋っていたい自分がいて、変わってしまった気持ちがあって、自分の未練がましさと、軽薄さが過去も今も振り切ってくれない。全部忘れて生きなきゃ自分がずるく感じる、でも忘れてしまうなんてもっとずるい。ずるい自分になりたくないなんて、そんなの甘くて自己愛が過ぎるのかな。




誰かびしっと言ってくれって思っても、誰かと喋りたいと思っても、うまく人と関われもしないし。なにをどうやってどんな顔で話したらいいのかもわかんない。人を傷付けずに話すことばっかり気に掛けてたのは、わたしがその人を思ってはいなかったせいなんじゃないかと疑問になる。同情とか気遣いとかそんなのいらなくって、信頼できる人が自分の気持ちを自分の言葉で伝えてくれるほうがいいもの。話の内容よりも伝え方のほうが大事な気がするや。

傷つけるつもりで話すわけでもないし傷つけてもいいわけじゃないし。




いつも邪まな気持ちばっかで、今日も、それをすっきりしたいとか頼りたいとか、目を塞ぎたいだけなんじゃないかって。気持ちを逸らしたいだけなんじゃないかって。でも純粋な時間もあってそれに救われる。

まだ自分を少しでも信じていられる。






死にたいっていうと

すこし楽になれるわけで、



でもまた死にたいって言ってるよとは絶対思われたくないから、なるべくは言わないようにするけど、これがすこしだけしんどい。


他の言葉にならいくらでも

嘲ればいい、吐きつければいいと思うけど

死にたいって言葉はわたしにとっては

すこしの救いで。




そう。

死にたいなんてそんなポップな感情じゃない、って思うときもあるし、

わたしにとっては

死は優しさなのかもしれないなあ、と。








すこしだけきもちがすっとしたなあ



ひとつのことを喋っていてもすこし曖昧にすればとたんに含める範囲は広すぎてこっちの場合だとこれに限らないなあとか考えてしまう。

ひとつの言葉や文章で全てを補えるわけはないのにな。








もっときちんと喋れるようになりたい