最近、某ブログに感化されたのだろうか?
韓流というものを少し見ていたりする。
日韓の関係が政治的に悪化する中で、韓流への夢を抱く人は日本人でもいるのである。
わけのわからない旭日旗の話題(明らかに日本の一般店舗では売られていないが、インターネットで出回っている。ただ、一気に広まらないという話ではない。)がインターネットで広がりを見せる中、実は、旭日旗を、韓流系?サイトで見かけたり。悪い意味で広がりを見せてほしくはない韓流「系」。
そういう感覚にとらわれてしまう。
韓流系は、歴史的な話に交えて、『理不尽な裏切りに理のある復讐する』『親を敬い親も子をしっかり考えた行動をする』『極めて横暴な人間を正し倒す』ような話もある。最近は医療関連ドラマが流れないが。なぜだろう。(韓流系の医療ドラマは、病名や根掘り葉掘り的な医学的補足説明が多く、医食同源として食べ物や症状などの説明もあり、意外と好きだった。あのドラマの内容が正確であれば、世界な配信してもそん色ないはずであるのだが・・・例えば「アルコールを飲まずに肉を食べて少し太らせゆっくり休ませると、ある傷の治りが良い的」・・・最近は少なくなり、反面、歴史的な話+夢的な話、が多いようである。)
日本系は『逃げて新天地で幸せになる』というのもある(少なくない)のだが、韓流系は、鮭が生まれた故郷に戻るように何かの縁でそこに戻り、そこで偉業を成し遂げる、という表現が多いようだ。
ひょっとすると、祖国出身民を想い祖国の地に貢献せよ、祖国で悪いものがあればこれを打倒し新たなる時代をもたらせ、という想いが韓流に流れている、そんな気がしているのである。無論、この想いが悪いものではない。それに日本人が反応するのは、日本でもそうあるべきだ、という秘めたる思いによるものではないか。そう考えるのである。
しかし、こうも思う。
なんだかんだ言っても、ドラマの中の食事は美味しそうである。そして、観光案内では、暖かで美味しそうな料理が撮影され「安い!」と出ているのである。
旅行に行き、羽を休めたい。そういう想いが日韓両国にあったのだが、日韓の政治家たちが、誰かとつるんで、日韓関係を不必要に悪化させ、貿易立国だったにもかかわらず、独立自主自律監査の時代と言い出し始め、その時代の流れになりつつように感じられていき、公に相互に行き来をするのがだんだんしずらくなってきているような、そんな感じになってきているようである。
「中華人民共和国・上海」「タイ・バンコク」「香港?厦門近隣?」「中華人民共和国・北京」「中華民国?台湾・台北-沖縄」などという一大アジア拠点の流れもある中で、我が国と朝鮮半島がどのような選択をしどうしていくのか、という話もあるのかもしれない。事実、中華人民共和国の留学生が我が国で多く学び、その影響力も強くあるとされる中で、ビジネス・国家という流れにおいても、
勧善懲悪
国民の権利擁護
地域の権利擁護
個人の権利擁護
組織の権利擁護
という「人間のふつうの思い」は消えることはなく、それに対する
理不尽な妥協と是正緩和と記憶の「実質的」蓄積
経費節減による不達成
というような話もある中で、行き過ぎの
人間(や国民)の価値(や価値観) の争い
人間尊重を押し付けた極めて理不尽な重労働に対する嫌悪感 と 楽な椅子の死守
・・・社会のわだち無き硬直化(脳梗塞)、医療技術低下、医療技術・IT技術遊戯(理不尽な遊びを含む)、
のようなそういうやり取りが起きている状況であるのかもしれない。と考えるのである。
それを、韓流、という「イメージ特効薬」の処方によって改善するような面もあるようであるが・・・
韓国から帰ってきてカップラーメンをすする写真を掲載する人もおり、韓流から世界を見て、人それぞれだな、という感じもするわけではある。
しかし、
人生をそれぞれ楽しんで活躍する時間が多い人が幸せ
であることに変わりはなく、
我が国が、平和主義というひとつの流れを実践するために、世界的な人口問題や食糧難の解決と摩擦の防止に向けた研究とともに、国内情勢の問題解決を続けなければ、小さな人たちは、高度情報化社会の中で、小競り合いの中、冷凍食品の発展とともに、文化や言語ごと消失してしまうのではないか。そういう風にふと考えてしまったのであったのである。