何故けんかしているんだろう。
愛知でまだ揉めているそうだ。
あいちトリエンナーレ2019
慰安婦像について。
慰安婦像とは何か。一部写真では見ているが、我が国の多くの人は本物を見ていないし、作った人の考えもよく知らない。
従軍慰安婦、というのは、日本に現実にあった制度である。
軍に必要だからと軍が募集した。少なくとも一部は強制強要もあったといわれている。
一部は当時新聞で報じられたが、日本統治下の朝鮮では、その現場の公務員を含めた人身売買もはびこっていた。
なお、日韓基本条約により、大韓民国と、政府間の賠償の話し合いが行われ、政府間の賠償は終わったとされている。
しかし、それでは不十分だと要求や裁判が起きている。
日本政府は何度か交渉をし、お金を提供する話し合いを行い、財団も設置した。
ただ、それでは内容的に問題があるともめている。
さらに、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との問題がある。
日韓基本条約では、朝鮮半島の正当な政府を大韓民国としたが、大韓民国は、北朝鮮と同時に国際連合に加盟し、承認された。
国際連合は、国が加入する組織である中で、である。しかし、大韓民国は、なぜか、北朝鮮と条約を結んでいない。
我が国は、日朝ピョンヤン宣言で、北朝鮮との交渉を続けることとしたが、拉致問題、大韓民国の立場の不透明さ、核、ミサイル問題などで、交渉を続ける弊害が存在し、特に拉致問題では、北朝鮮の捜査打ち止めなどで、もはや話し合いができないという状況となっている。
清いものだけがあるわけではない。それは、現在の私たちの政治もそうではないか。
清い政治だけなら、子供の貧困は、すでに解決しているはずである。
国際関係はさまざまに混とんとしている。
さて、慰安婦像だが、見たい人が見て考える自由はあるし、どのように感じたかも考える自由もある。
また、権利とまで言えるかはわからないが、慰安婦像が何か、を正しく知ることは、話題として上っている以上、飾るために助成金を出して置くことはおかしなこととは言えないのではないか。
『慰安婦像を知る』ことは、県民益につながるはずである。
ただ、慰安婦像を知るだけで、朝鮮半島を知ったようなことは好ましいことではない。
国際情勢は複雑であり、清濁併せ持つ中でも、人権が尊重される世の中になるように考える。
・・・名古屋市でも、外国人が増えたという。
外国人の失業者も多い、という。そして、日本人にも失業者がいる。
そのことを考えたうえで、日本人の心を踏みにじる、という論理が危険な話を生む可能性はあるだろう。
外国人の失業者を、さまざまに複雑に感じる。ただ、日本に日本企業が入れた以上、責任を持つ必要はあるだろう。
慰安婦像は、日韓関係を象徴した一つの問題である。そういう問題に、見たくない、とするのは、物事を見失う可能性はある。
あと、補助金を払ってよいのかどうか。
大きな日本の話題である以上、補助金を払い、大切に展示し、傷一つなくガードし、国民に見てもらい、しっかり国民が考え、傷一つなく返却することも、否定される話ではない。
ただ、問題は、補助金を払うことではなく、いくら払うのか、壊され国際問題になることはないか、である。
なお、憲法問題なのか?についてであるが、国民県民が正しく知る権利、という話であれば、憲法問題もあるだろう。
慰安婦像という国際問題を知る権利は、憲法上の国民主権の中、日本国民にある。そういう意味での憲法問題である。
そう思われる。
なお、展示物で補助金の是非を判断する、ということ自体はおかしいことではないが、それは、早めに是非を決めることが大切であるとともに、急に災害等で予算枠が無くなってしまったり、著しく補助金の支払いをすることに該当しないものである場合には、一部の補助金を止めることも已む得ないこともあるのではないか。但し、慰安婦像そのものを正しく知る、という目的が、補助金の支払いを拒否するとは言えないのではないか、ともいえる。
・・・と考えてみた。