だれかと話をするとき、どうも噛み合っていないんじゃないのかって思った経験があるだろう。ある言葉で双方が想い描くものが違えば当然そうなる。たとえばヌエという存在について議論するとき、一方は実在する動物を思い描き、他方は空想上の化け物を思い描くなら、その議論はいつまでいってもいっこうに噛み合うことがない。普段口に出すようないわゆる大和言葉だとそうした食い違いが生じる可能性は低いのだが、普段口にしない漢語表現だと同音衝突がおきやすいから食い違いやすい(例:干渉・鑑賞・観賞・感傷・冠省・勧奨・緩衝・管掌・観照など)。それが専門用語なら、音も漢字も同じで意味だけが違うことがあるから、さらにその危険が高くなる(例:法律用語の善意・悪意)。



症状固定という言葉がある。医者と面談するとき、こちらがその言葉から思い描くことと医者が思い描くことは少し違う。因果関係もその種の言葉である。医者は、何らかの影響を否定できないだけで「因果関係あり」と答えることがある。医師面談のときはその因果関係の頭にさらに「相当」という言葉までつけないといけない。でも、ぼくは付けなかった。「相当因果関係」は法律用語だし、その正確な意味はということになると、15分ないしは20分という短い面談時間の間にそのことを説明する余裕なんかありゃしない。原因と誘因もそうだろう。外傷性と外傷後もしかり。医者は単なる誘因でも原因といったり、外傷後に出てきた症状でも外傷性ということはよくある。



こうした食い違いに気づいているならまだいい。双方がお互いの食い違いに気づかなくて、あとで言った言わないのトラブルになることだってあるのだ。いや、トラブルにならないだけで、たいていは食い違いに気づかないままであることが多いのだと思う。



ということで、保険会社から主治医がこのように回答していたと言われても、医者と保険会社とで思い描くことが違うことは十分ありうることだ。だから、そう言われても、簡単にあきらめないでほしい。


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