「介護」って「育児」と似ていると思う。

 

理不尽なところが。

 

 

OL時代、努力すればするほど認められたし、やりがいもあった。

 

しんどいことがあっても報われるから、おもしろかった。 

 

 

 

それが妊娠中トラブル続きで退職し、母になった途端、「あぁ、向いてないわ。」自覚した。 でも放り出せない。 それが親。

 

絵本読んだり、公園いったり、育児サークル参加したり・・「お母さんなんだから、やって当たり前。」というプレッシャーを感じつつ、とにかく人並みのお母さんにはならなきゃ と頑張った。 若かったから頑張れた。

 

しかし自分の頑張りとは裏腹に、こどもはレストランでジュースぶちまけるし、ホテルの食堂で盛大に吐いたり、スーパーで駄々こねて床に寝っ転がったり、夜中にぎゃんぎゃん泣いたり、土曜の午後に高熱だしたり 大きくなっても次から次へと問題発生。 ・・・努力しても報われない・・・どうにもならないことの連続

 

そうして母は強くなり、「しゃあないなあ~」という受容力 = 「理不尽に対する耐性」 を身につけた。

 

 

 

この理不尽に対する耐性がのちのち役立つことになる。

「子育ての苦労、この時のためか!」

介護中、ココロの底からこう思った。

 

挫折という経験も、捨てたもんじゃない。

 

 

 

 

今、気になっていることは、

 

自分の道を自分の手だけで切り開いてきた、子育てをする機会がなかった、真面目でやさしい親おもいの努力家たちが陥るとらわれ

 

・親の介護は私が!

 

努力で成果を手にした人は、介護も全力で取りくむ。

自分が頑張ることによってなにかが得られるはず 改善されるはずだと信じて。

 

けれど、介護って

・終わりが見えない

・周りが見えにくい

・思い通りにいかない

 

でも

・手放せない

なぜなら自ら白旗をあげることがなかった人にとって

・降参するのは恥

だから。

 

 

 

 

私は

 

恥でもなんでもない!

助けを求めていい!

 

と 声を大にして言いたい。

 

 

 

得手不得手、向き不向き、

誰にだってあるのだから

 

できない自分を

許していい。

 

 

 

らいふのーとアドバイザー

上級終活カウンセラー

熊川サワコ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 終活・エンディングノートへ
にほんブログ村