ポピュリズムがうみだすナショナリズムの連鎖 | 爺庵独語

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爺庵の独善的世相漫評

 尖閣諸島の領有権をめぐる日本と中国の対立が、中国国内での激しい反日暴動を招いている。連日テレビニュースで流される映像には、在中国日本公館への投石はおろか、日系デパートや工場などで、暴徒が建物を壊し放火する様子など、凄まじいまでの無法ぶりがまざまざと映されている。

 報道では中国在住の邦人は、日本語で会話することも憚られる状況にあるといい、在留邦人の安全が懸念される事態にまで立ち至っている。

 ほとんど報道に接しないのは不可解だが、おそらく日本国内でも右翼団体などが反中デモをやっているだろう。中国国民のナショナリズムは日本国民のナショナリズムを招き、日本国民のナショナリズムは、さらに激しい中国国民のナショナリズムを煽る。負の連鎖だ。

 中国側の反日デモは、政府があえて強硬な抑圧策を採らず、容認しているがゆえに拡大しているという面もあるようだが、改革開放路線のひずみによる国内政治への不満が反日行動として噴出しているという側面もあろうから、いつなんどき政府のコントロールが効かない暴発に至るかも知れない。そうなったら在留邦人の安危にかかわることになりかねない。

 一方で中国海軍が東シナ海で大規模な実弾演習を実施しており、これは日本の海上自衛隊との戦闘を想定したものとも伝えられる。尖閣領有をめぐる中国側の強硬姿勢を示すためのデモンストレーションではあっても、こうした動きにナーバスに反応すると、思わぬ事態を招かないとも限らぬ。それは過去の歴史が証明していよう。

 両国政府も領国国民も、いま為さねばならないのは、ナショナリズムがうみだす負の連鎖を一日も早く断ち切ることである。徒に過剰反応せず、憎悪をむき出しにせず、冷静にならねばならない。

 この問題の発端はと言えば、石原慎太郎東京都知事による、尖閣諸島買収宣言であった。4月16日、訪問中のワシントンで講演したときのことである。ニュース受けを計算した、如何にも石原らしい遣り口であった。この煽動行為に乗せられて、東京都が開設した尖閣購入資金の寄付受入口座に、全国から十数億円もの寄付が集まったと聞いて、爺庵は慄然としたものだ。外交権も持たぬ一地方団体の長が、外交問題になること必至の挑発行為を行い、それに何万人もの日本人が私財を提供したという事実に、ポピュリズムとナショナリズムの鞏固な結合が起こったときに何が生まれるのかを、まざまざと見るようであった。

 その後の国の対応もドタバタ続きで、石原の言いたい放題に引きずられるように、どれほど慎重に検討したのかは知らぬが、ずるずると尖閣国有化に走ってしまった結果が、今日の事態である。

 この事態を、当の石原慎太郎はどのように見ているのだろうか。自らの暴走が、在中国日本国民の安全を脅かす事態を招いたことを、どう考えているのだろうか。尖閣諸島購入を「国がやらないから都がやる」と言い、「国に代わって実効支配を強化する」とまで言い切ったご本尊が、よもや「邦人保護は国の仕事」などと空々しいことは言わぬと思うが、目下のところ爺庵は石原がこの事態について何かコメントしたのかどうか知らない。

 半月ばかり前には、石原は「1滴でも2滴でも、血を流してでも、あの島をわたしたちが守るんだという意思表示をすることですよ」と言っていた。その記者会見の様子はここで見ることができるが、石原が言う血を流すとは、中国在留日本国民の血のことなのか。石原のポピュリズムと独善的なナショナリズムが原因で、無辜の日本国民が血を流す。そのことによって、尖閣諸島が守れるとでも言うのか。

 石原にせよ誰にせよ、威勢よくナショナリズムを煽り立てる極右ポピュリストたちは、いざ血を流す場面になると、自らは安全な場所でぬくぬくとしている。今から110年前、日露開戦を煽り立てた帝大七博士の誰が戦場で銃を持ったというのか。齢80歳に垂んとする石原慎太郎ごとき、仮に戦場に出たところで足手まといにしかならぬであろうが、しかし血を流すのはいつも煽動者自身ではなく、名もなき国民である。それを煽動者は知り抜いた上で、ナショナリズムを煽るのである。卑劣なことよ。

 石原よ、血を流してでも意思表示する覚悟があるならば、今すぐ中国へ飛び、反日デモの暴徒の前に立って「尖閣諸島は日本の領土だ」と叫んで見よ。そうすればあるいは、勢いに吞まれてデモも沈静化するかも知れぬぞ。