ワイドショー政治 | 爺庵独語

爺庵独語

爺庵の独善的世相漫評

 先の総選挙で民主党を大勝させた三千万人にのぼる有権者。彼らが求めていた政権交代とは、こんなつまらぬワイドショー政治のことだったのだろうか。そう爺庵に思わせたのは、連日テレビメディアで中継され、新聞雑誌で書きたてられた、行政刷新会議の「事業仕分け」である。
 少なくとも爺庵は、小泉純一郎政権以来の新自由主義を御旗にした政治経済運営がもたらしたこの国の民草の困窮が、政権交代によって些かなりとも良い方向に進むことを期待し、民主党の圧勝に終わった総選挙の結果を嘉したものである。「コンクリートから人へ」というスローガンに、労働の対価をコストとしてしか見ない企業経営のありようへのアンチテーゼを見たのである。働きたいのに働く場所がない、身を削るように働いても将来への期待がもてない、そんな若者が将来を夢見ることができる労働環境の実現を期待したのである。新自由主義との訣別の意思を感じたのである。
 然るに、事業仕分けで民主党の国会議員や民間の「仕分け人」たちが振り回した理屈は、コストはどうだ、効果はどうだ、なぜ民間でできないのか等々、小泉政権下でたとえば「規制改革・民間開放推進会議」などがやってきた議論と何も変わらない。それをテレビカメラの前で、それこそ「小泉劇場」そこのけの劇場化、ショー化した演出でやるのだから、むしろ小泉政権よりも悪辣なやり口と言わねばならない。
 爺庵は世に言われる天下り団体へ、途方もない国費が蕩尽されていることについては、大いに鉈をふるってほしい。テレビカメラの前でつるし上げられる官僚個人には気の毒であるが、天下り先を確保するために補助金や委託料を団体へつぎ込むこのシステムだけは、官僚の手によって自浄することを期待できないから、乱暴であってもやらねばならないと信じる。
 しかし短期的に成果を期待することが困難な研究開発や、コスト対効果の観点だけでは必要性が評価できない文化的施策なども十把ひとからげにして、メディア受けするワンフレーズで善悪二元論的な割り切りをしようとする事業仕分けの手法は、どうしても支持することができない。これでは民主党政権とは、小泉純一郎がパイオニアとなり、橋下徹がその醜悪なエピゴーネンとなったワイドショー政治の追随者に過ぎない。
 国民は果たして、そんなものを期待して民主党を支持したのだろうか。少なくとも爺庵はそうではないのだ。