書評・服部龍二著『広田弘毅 「悲劇の宰相」の実像』 | 爺庵独語

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爺庵の独善的世相漫評

 爺庵はこれまでに、広田弘毅の伝記を四篇読んでいる。読んだ順に並べると次のようになる。
 1『広田弘毅』広田弘毅伝記刊行会編
 2『秋霜の人 広田弘毅』渡邊行雄
 3『黙してゆかむ 広田弘毅の生涯』北川晃二
 4『落日燃ゆ』城山三郎
 最初に挙げた1は広田弘毅の正伝というべきものだが、これを読んだのはもう七八年近く前になろう。きっかけは児島襄の『東京裁判』を読んだことだった。そこで描かれている広田弘毅の姿は感動的だった。広田という人物について知りたいと思って、大枚をはたいて古書店から買ったのが1の『広田弘毅』である。人口に膾炙した城山三郎の『落日燃ゆ』ではなく、正伝から手にするのが爺庵流と言いたいところだが、実は城山の伝記小説の存在を知らなかっただけである。城山の『落日燃ゆ』を読んだのは二年ばかり前のことである。広田弘毅の生涯について、概ね知り尽くした上で読む『落日燃ゆ』は、多くの読者を感動させたであろうほどには、爺庵を感動させはしなかった。
 それは、正伝を読めば判るはずの広田弘毅の弱みについて、城山の筆は核心を逸らし続け、東京裁判期に広田が遭遇した不運に向かって、ひたすら情緒的に、悲劇の宰相たる姿を演出しようとしているように感じられたからである。
 爺庵は広田弘毅という人物が好きである。だからこそ、その伝記を何冊も読もうとするのだが、だからといって徒らに広田を悲劇の主人公扱いすることには、正しい歴史を知りたいと思う立場からは同調できない。
 その意味で、中公新書から六月に刊行された服部龍二の『広田弘毅 「悲劇の宰相」の実像』は、爺庵を頗る満足させるものであった。広田弘毅が首相に就任して以後、東京裁判期に至るまでを、苦闘も失政も、そして無為無策をも、史料を駆使して冷徹に描き出して間然するところがない。
 そもそも一人の生身の人間が絶対善であったりするはずがない。服部の著作を読むまでもなく、広田が近衛内閣の外務大臣であった時に、有名な「蒋政権を対手とせず」という声明を発表したことが、日中戦争を泥沼化させる決定的な失策であったことは明白である。そうした失策も含めて、広田弘毅という人物が存在するはずである。服部の著作はこの問題ばかりでなく、所謂南京事件なども含めて、軍部に抗することができず、また専門であるはずの外交政策にも一貫性を持ちえず、結局のところ内外からの信を失っていく広田の姿を明瞭に浮かび上がらせた。『「悲劇の宰相」の実像』という副題はちっとも大袈裟なものではない。信奉者にすれば残酷な内容であるかも知れないが、新たな視点から広田弘毅の実像を活写した好著と評すべきである。
 しかしそうした広田の、いささかならぬ失望を与える力なき政治家としての姿を突きつけられたとしても、その責を引いて無言で死んでいった広田という人物から爺庵が感じた光芒は変わってはいない。それはおそらく、著者の服部龍二自身が広田弘毅に対するリスペクトを持ったまま、この著書を執筆したが故であろうと爺庵は思う。