先週の土曜日、道場で稽古中に・・訃報が・・。
剣を交えた事が有る武友といっても良い、先生が、突然この世を去った。
携帯の向こうで、話を告げる先生の言葉にも、わずかながらの動揺を感じ取った。
はかない「儚」とは、人の夢と書くが、本当にその通りだと思う。
この世に生きる事とは、真に夢に様なもの・・・・祖父も祖父母も、父も母も、親友も、既にこの世を去り、天眞正自源流兵法の一門會でも、多くの人を失って来た。
人は、己の誕生を選ぶ事が出来ない様に、人生の終着点である・・死に方を選ぶ事が出来る人は、稀である。
故に、生き方そのものが、その人の人生であり、その人の魂であると思う。
明治10年9月24日、日本国内最後の戦争といわれる「西南戦争」が終結した。
明治天皇は、明治維新の中心人物であった西郷隆盛の死を悼み、その最後の様子を官軍司令官の大山巌に尋ねた。
その問いに対して、大山司令官は
『陛下、人は誰でも必ず死にます、時と場所を選ぶ事は出来ませんが、彼らは、時と場所を選ぶ事が出来ました』
『陛下、西郷の生き様で有れば、いくらでも、お話し申し上げましょう・』と。
明治天皇は、その言葉を聞いて、やさしくうなずいたと云う。
その後、この話は「逸話」となり、明治・大正・昭和といった激動の時代に命を懸けて、国難を戦った英雄達の生き様を語る元となった。
人は、この世に生を受けた時から、刻一刻と、死という現実に向かって歩み始める。
人は生まれ、人を愛し、そして死を迎える。
武士道は、儒仏神に由って構築され、信念という概念により、鋼の如く強固な精神と肉体を高めるものであり、その最終目的は『死の克服』である。
大石内蔵助は、辞世の句で「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」と目的を達成した人生の終わりを歌った。
人生とは、まさにこの句そのものであろうか、目的の無い人生は、大海を彷徨う舵の無い船である。
其の道の師匠とは、我が人生の羅針盤であって、羅針盤の無い人生も同じく、暗夜の山道を当ても無く彷徨うのと同じ事である。
仏陀は入滅の際に、弟子のアーナンダに「自灯明」の教えを残した。
目的地と羅針盤が有ってこそ、人生は豊かに実りあるものとなる。
死は、人生の最終目的地であり、如何にして辿り着いたか、どれだけ、自分を高める事が出来たのか・・それが人の生き様である。
だから、先逝く人の生き様を我が人生の指針と為し、恩人・恩師と仰ぎ、人生を卒業した先人に、感謝と尊崇の念を込めておくりたい『ありがとうございました』と。