日本刀の『鍛え』に見る武術修行の本質とは、齢を重ねた時、始めて見える『練』の本体・・そこに武術蘊奥の奥秘がある。
昭和50年頃の深夜、越谷にある父の墓前で月を眺めていた。
十三夜の月はくっきりと空に浮かんで、多くの星が月を囲む様に輝き、草木も眠る丑三つ時は静寂である。
父が他界してから、日中は時間が取れず、深夜の墓参りをする事があった。
物音ひとつしない中での父との対話は久しぶりであった。
数日前の事を思い出していた。
全日本剣道選手権大会の事である。
会場の日本武道館は、選手たちの体から発散される熱気で充満していた。
竹刀と竹刀が交際し、体と体が激しく衝突する迫力。
気迫と気迫が火花と化し、技と技の応酬が見る者を圧倒する。
いつのまにか、握り拳に力が入り、全身が震えていた。
本来ならば、何も無ければ、自分もあの場に立っていたと思うと・・悔しさが心の奥底からにじみ出てきた。
小学1年生から始めた剣道は、真剣勝負への指針であった。
決勝戦は、近年稀にみる名勝負であった。
選手の動きに無駄は無く、次々と繰り出される華麗な技は、日本一を決めるのにふさわしい内容であった。
試合後のインタビューで、勝者は『稽古量は誰にも負けない、修練に修練を重ねた、だから、絶対に負けない気持ちで戦った・・』と語っていた。
あれから、四十年以上の月日が流れ、ようやく修行の意味が理解できたような気がする。
日本刀の鍛錬では、鉄を鍛える最初の段階を『鍛』云う。それは、硬さ、強さを作る事を目的としているからである。
しかし、これだけでは刃こぼれが早く、日本刀としての目的は達せられない。
だから、柔らかい火で焼きを入れて柔軟性をつけるのである。
この段階を『錬』と云う。
この練りが十分に入って始めて実戦で役に立つ日本刀になる。
名刀の誉れが高い日本刀はこの柔軟性と鋼の調和が保たれ、刃が鋭く美しさを放つ様である。
人間も同じである。
若い時は血気盛んで力はあるが挫折しやすい。
人生の辛酸を嘗めた経験量と齢を重ねる事によって魅力が滲み出てくる。
武術の鍛錬には、【修業】と【修行】がある。
修業は、卒業修了で、一応のけじめをつける事が出来る。
しかし、修行には終わりが無く、極めつくしたと思ってもまだ先がある。
千錬自得、万鍛神技と言われる様に、道を極めるには、三十年の継続力が要求されるものであり、修・破・離の輪廻は生涯に渡って継続される。
父との対話の後、青年海外協力隊員として後進国に派遣されて二年、・・・・帰国した時、人生観を大きく変える『詞』との出会いがあった。
|
● 力を与えて欲しいと神に求めたのに・・謙遜を学べと弱さを授かった
● より良き人生の為に健康を求めたのに・・・・・病弱を与えられた
● 幸せのために富を求めたのに・・・・賢明であれと貧困を授かった
● 家族のために成功を求めたのに・・・得意にならない様にと失敗を授かった
『神は、願いを全て聞き届けられていた。私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されていたのだ』(作者不詳・訳/神渡良平)
あの時、試合に出る事が出来なかった悔しさを当たり前の様に受け入れている自分がそこに居た。
一篇の詞は、勝つ事ではなく負ける事を教えていた。
試合をして負ける事も、出場の機会を失った事も、大して変わる事ではないと感じ始めていた。
強さの大事ではなく、弱さの大事を教えてくれた。
力いっぱい出すのではなく、力を弱める事の重要性に気付かされた。
力を抜く修行は、自源流の真意に対する理解を深める基本姿勢となった。
剣道を復活して、頭と体を無にする脱力の稽古に集中した。
すると・・強さは一層増していき、自分中心から相手中心へと視点が変わる中で、「无空(むくう)」の質の転換が進み、更なる力を抜き去る修行を通じて「虚(から)」の世界の扉が開けていった。
六十八年の人生が経過していた。
「虚(から)」になると、無我の境地に入り、相手の動きが手に取るように見え、千変万化の対応が出来るといわれている。
是を自源流では、「機先」と云い『无空内省』の極致である。
心身錬磨の蘊奥であり「不動心」の神髄である。
その様にして、辿り着いたのが一摑一掌血(いっかくいっしょうけつ)であった。
何事かを志したら、手に血の跡が残るくらいに取り組めとの教えである。
不退転の心で臨む『學』であり、王三昧の境地に達する鍛錬が要求される。
「鍛」とは自分の頭を「無」にする修行である。
学べば学ぶほど無知である事に気づく修行が「空」である。
学ぶほど己の至らなさを猛省する中で、頭が『虚』の世界に辿り着く、我が心が己を照らす境地に高まると「錬」の修行が進む。
空 と 虚
五大虚空蔵菩薩は、広大無辺の知性のシンボルである。
智は、行の始まり也、行は、智の完成への道である。
今、武術神髄への探求心が、その道を暗示しているのである。