【子曰く、われ十有五にして学に志す】、論語に於ける有名な言葉である。

 

 

 

 武道に於ける志とは、【修練】によって始めて開花されるものであり、修練なくしてその道の達成はありえない。

 

 天眞正自源流武術の全ては、修練の成果を得る為のものであり、その道は志によって達成されるべきものである。

 

  

 

 志とは「目的であり目標である」「こうしてみたい」「ああしてみたい」でもよい、目的を持つのは個人であり、目標を与えるのは師の務めである。

 

 自源流の「形」は「法形」と呼ばれ、決して無理な動作を起こすことなく、天地万物の法に則った動作を目指すところから「法形」と称されている。

 

 故に、法形の修練には「心の修練」が伴い、忍耐力、持久力、応用力、などを養成することが必要となる。

 

 真剣で行なわれる形の修練は、集中力なくしては非常に危険であり、抜刀と納刀の際には無心でなければならない、無心であるがゆえに臆することなく真剣を自在に扱うことが可能となり、それが、心の研鑽につながっていくのである。

 

        

 

 古より自源流では「納刀神速」の妙味を次のように伝えている「よく納める者は、よく抜き、不得手にあっては、道適うことなし・・」と、故に、理法に適う納刀が出来れば、全ての形の修練は、おおむね達成されたも同然であるという事である。

 

 天眞正自源流では、第一に居合術を学ぶことから始め、次に剣法としての組太刀を実践する。

 

 それは、「居合法形」が、心の研鑽に直接的につながっているからである。

 

 天眞正自源流兵法に於ける居合法形の構成要素は、

 

 第一に「対敵想定と間合い」

 

 第二に「呼吸の自律」

 

 第三に「視線の充実」

 

 第四に「重心の確保」

 

 第五に「瞬きの自制」であり、流儀居合術の要としている。

 

 一つの居合(抜之法形)を実践するには、自然体にて呼吸を整え、静かに居合腰に移り、敵を想定して鯉口を切り、視線を充実させて刹那に絞りきる。

 

 そして、充分に間合いをつめ、攻撃してくる敵に対して臆する事なく、瞬きを自制し、重心を安定させ、瞬時に刀を抜き放ち、敵を斬り伏せ、静かに斬心を執り、抜くと同等の速度で納刀を行い、呼吸を整え、自然体に帰する。

 

 

 一つの形を、単なる形としての流れとして追及するのではなく、そこに内在する数々の教えを学び取りながら修練する事で、心の研鑽も同時進行するのである。