明治以前、日本の伝統武術の各流派に於いて、宗家と言う言葉は使用されておらず各地の門弟を統率するような存在は無かった。

 

 

 通常は、弟子が師匠から免許や指南免許等を得た時点で、独自に門弟を指導し、免許を発行する権利(免許発行権)も与えられる。

 

 また、通常の全伝学習の証としての免許皆伝と、弟子を取り立てて教授する事を師匠が許す指南免許の印可を区別する流派も存在した。

 

 

 

 指南免許の位置付けは、免許皆伝の前の段階とする流派と、免許皆伝の後とする流派があり、前者は流派の正統師範免許の印可であり、後者は免許皆伝を得ても指南免許を得なければ正当な教授資格者とは認められないものであった。

 

 

 

 是等は教授者の同地域内における飽和を防ぐ意味合いがあったと考えられる。

 

 また、晩年老齢期や様々な事情により、教授者としての役割を果たせなくなった時、皆伝巻や指南免許を師範家に返傅するのも各流派の掟であった。

 

 明治以後は、伝統武術も全国的に組織化する事が多くなり、流派の師範家が全国の門弟たちを統率できる宗家制度を取り入れる流派が多くなった。

 

 

 故に、武術流派の宗家の下で伝統武術流派の伝承を受け、相応の修行を積んだ者だけが、その流派の師範となり、允可を経て独立するのが日本伝統武術の正当継承であって、その伝統は現代に於いても厳格に守られるべきものである。

 

 古来より日本伝統武術の伝承に於いては、流派嫡流の家柄・家系を師範家または宗家というが、嫡流でありながら何らかの事情で流派一門を統率する、嫡宗権(流派の継承権)を失った血筋を嫡家と云った。

 

 これに対して、庶流(血筋が継っていない流れ)であっても嫡流に代わり一門の統率権と継承権を得た家系を宗家または本家と云う。

 

 嫡家は、伝承流派血筋の家系であって、流派の継承権を持つ事は無く、勿論、相伝印可権を有する事も無く、流派宗家の伝承権に対しての権威を有する事もない。

 

 故に、祖先が創始した伝統武術流派の血縁ではあるが、一切の権利を持たないのが嫡家であって、数代を経て宗家に学び、流派を修めた一門人としての嫡家が、宗家を継承する事は極めて稀である。