日本伝統武術・・その中でも流派古傳の武術は、現代に於ける・剣道・柔道・その他の現代武道とは、一線を画すものである。
特に戦国時代に創始された【戦国武術】は、一撃必殺の術理を以ている。
しかし、明治維新以後・気が付けば文明開化の足音と共に、全世界が動乱戦争の時代を経て、多くの戦国武術は、希少な継承者を失ってしまった。
そして、戦争を生き延びた日本人の中に僅かに残ったのが、現代に継承される日本伝統古武術である事に感謝しなければならない。
上野靖之源心 昭和14年、満州時代 陸軍中佐
戦後復興を経て、わずかに残った戦国武術も、本流から外れた弟子系統の流派が多い事も災いして、その技術と精神は、次第に形骸化してしまったのである。
戦国武術が、一日にして創始されたもので無い事は歴史が証明しているのだが、何の立証手段も無く、其の流派の生き残りである事で、宗家を名乗り、次の世代に継承するなど、軽々しくも軽率な行為が現在も平然と行われている。
日本伝統武術の継承は、元来・・その人物がこの世に生を受けたと同時に始まる。
天眞正自源流兵法に於いても然り、先代・上野源心は、三歳で真剣を手にし、6歳より御流儀を学び、8歳で26代の溝口玄心師の下へ内弟子となった。
その日より、10年間に亘り、1年365日休む事無く、元旦でさえも、一日6時間の稽古修練が行われたという。
勿論、進学すると同時に勉強もしながらの修業であって、到底現代人の及ぶところではない。
そして、私も、気が付けば、真剣での抜刀納刀をしていた記憶がある。
【真剣を使用する・7歳頃の景範、自宅八畳間で撮影】
初めての演武は、6歳頃であったと思う。
先代が東京浅草に尚武舘を建設したのが、昭和39年で私が10歳の頃である。
道場が出来る以前は、自宅八畳間が私と弟の稽古場であった。
真剣居合術(抜之法形)・11歳頃の景範、全日本古武道大会
尚武舘道場が出来る前は、本当によく演武会に出席していた。
真剣組太刀・実弟8歳・景範10歳、全日本古武道大会
実弟と共に連れていかれた時などは、必ず「尊形の組太刀」を真剣で演武した。
真剣を使用しての組太刀で、少しでも気を抜けば、先代から恐ろしい程に睨まれることもあった。
一番つらかったのは、演武会当日の食事であった。
あさは、半熟のゆで卵一個、その後は・・演武が終わるまで、水以外の飲み物は禁止、何も食べる事が出来なかった。
その為、異常な程の集中力が身に付く結果となった。
7歳の頃の写真を見ても、撮影当日の飲食禁止の為、目つきが鋭いのが分かる。
その集中力により、剃刀の様な真剣を使用した稽古でも演武会でも、一切自傷した事はなかった。
現在、一門會に於いては、その様な食事制限などなく、自由に気ままに、三食きちんと食べてから、稽古も・・演武会も、行っている。
時代が変われば、稽古も変わり、伝統武術も、ひとつの趣味として、楽しみながら学ぶ時代となっているのである。
然して趣味としてライフワークとして、天眞正自源流兵法を学び始めた人の中に、現在も、これからも、新しい自分の生き方を見つけ、飛躍していく人達が次々と現れる事も事実である。
*武道の修業とは、限りある人生の修業である*