日本古武道の伝統と継承は、其の流派名称と共に、流派の技術と精神が伝承されることを当然の如く行ってきた。
古武道の修業過程に於いて、最も重要な要素は【徒弟制度】による師弟の上下関係にある。
先代は、私に言った『時代に必要がないと思ったら、お前の代で、流派を絶やしても良い、好きにしてかまわないから』と。
父が他界した後、父の兄弟子が言った『自源流は、一人一流、おいの自源流とおぬしの自源流が、同じはずがなかろうが、人が皆違うように、流派武術という池の中にあっても、皆・・違うのが当たり前じゃが・・』と。
齢、50歳を過ぎた頃から、私の中で宗家という概念が次第に薄れていった。
どうやっても、考えても、父の姿に自分が重なる事がない。
形を錬磨しても、日々研鑽しても、目標ではあるが、同じ位に立つ事が出来ないのである。
そうか!!!・・これが「一人一流」なのだと悟った。
自分は、自分の自源流を求めれば良い、同じ形であっても、同じ様にする必要はない、教えは・教えとして、時代に合うように一人一人に一番いい姿形を求める事を伝えれば良いのではないだろうか・・・と。
自源流の教えの初めにある『當流至極の御教示は、形が有って、形は無く、形の様なもの、之、流儀尊祖の教えにして、万物極宗の神示也』と。
形を学ぶのは、初めに過ぎず、形の先にある「何か・・?」を修得せよとの教えであると、是も・・・50歳を過ぎて何となく理解したのである。
60歳還暦の時、久しくお会いしていなかった*天真正伝香取神道流神武館館長*(故)大竹利典先生を御訪問させて頂いた。
利典先生は、その時・・齢88歳、所謂「米寿」であった。
11時ごろに到着して、夕方の午後5時ごろまで話が弾み、埼玉県の自宅に帰りついたのは、午後10時を過ぎていた。
先生との詳細は、後日談とするが、知る人ぞ知る剣聖も宗家制度には、同じ意見であった。
宗家とは、明治維新以後に各流派武術の師範家が名乗り始めたものであり、明治以前は、全て**剣術師範家**師範家**御師範家・・等と称していたのである。
天眞正自源流兵法に於いても、流史録を鑑みれば、【御師範家頭領】が「いわゆる宗家」であった事が伺える。
故に、宗家=師範家代表者、という事であれば、当然の如く宗家を称する者は、其の流派武術の全てに精通している事が大前提となる。
然るに、30年程前からであろうか、流派武術を教える事が出来ないどころか、剣を持ったことも無い、家柄血脈だけの宗家が次々と世に出てくる時代となった。
流派武術の全傳継承者が、宗家でなければならない**という、思想と掟は、完全に覆されたのである。
最早、『名ばかりの宗家』など何の意味も無い時代となった。
故に、一人一流、天眞正自源流兵法は、一人一人の修行者が、全員、継承者であり、宗家などという徒弟制度に縛られる事なく、自由に人生を謳歌し、自由に武術を学び、楽しみ、生きがいを以て進めば、尊祖も喜ばれると思う。