生きているだけで十分 宍倉清則のいまのキモチ -1493ページ目

棚橋vs永田でいちばん印象に残ったシーンは…

新日本プロレス4・3後楽園に行きました。棚橋vs永田のIWGP戦が見たかったからです。こう言うと、世代的に「永田選手の勝利を期待していたでしょ?」と思われるかもしれませんが、それは違います。このカードなら、絶対に「すごいもの」が見れると思ったからです。


大震災後、私が後楽園に行くのはこれが初めてです。ホールがあるビルに着くと、節電で周囲は暗い。とても中で何かをやっている雰囲気ではありません。でも、5階に上がると、中は超満員のすごい熱気。


この試合で私がいちばん印象に残ったシーンは、コーナー最上段にのぼった棚橋選手を永田選手がキャッチして、雪崩式のフロント・スープレックスを決めたときの、棚橋選手の「姿」です。「週刊プロレス」最新号に掲載されたグラビアを下に載せました。写真のいちばん下の技です。


これを食らっても、立ち上がってくる棚橋選手はすごいなって。当然、このとき、客席は「大きなどよめき」に包まれました。30分ごろのことで、勝負がついたのは35分30秒。


受けっぷり、やられっぷり…という表現は軽いカンジがして、イヤです。「食らわれっぷり」とでもいいましょうか。棚橋選手はリック・フレアーだな、と思ったのです。もしかして、これを棚橋選手が見たとき、いい気持ちがしなかったら、ごめんなさい。でも、私としては、最上級の誉め言葉なんです。フレアーといえば、人間国宝、世界遺産といっても過言ではないプロレスラーですから…。同じ歴代のNWA世界王者でも、ハーリー・レイスではなく、伊達男の「狂乱の貴公子」リック・フレアーというイメージです。


試合後、担当記者たちはバックステージへコメントを取りに行きます。だから、試合後のシーンを最後まで見れないことが多い。でも、幸いにも、いま私はそういう立場ではないので、なるべく試合後は場内に残って、余韻にひたることにしています。


それでも、今回は棚橋選手のコメントを聞きに行こうと思いました。でも、向こう側に行きたくても、多くの人が密集していて、行けません。それもそのはず、です。いつものように、棚橋選手がリングサイドを一周して、観客の祝福に応えていたからです。だから、私も立ち止まって、その光景を上から見ていました。


いつ見ても、いい光景だなあ、と思っていました。でも、よく見ると、いつもとは様子が違います。棚橋選手が完全に「泣き顔」になっているのです。前回の防衛戦である仙台(2・20)のことなどを思い出して、感極まっていたのでしょうか…。


報道では、バックステージでのコメント中に涙したことがポイントになっていますが…。今週の土曜日の深夜2時25分からテレビ朝日で放送される予定なので、ぜひ注目してください。



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そのとき、大森さんは中学生なのか…

はじめに、東日本大震災で犠牲になられた方々とご遺族に、深くお悔やみを申し上げます。被害に遭われた皆さまにも、心よりお見舞い申し上げます。

 

はじめまして。生まれて初めて、ネットでブログを始めました。どうぞよろしくお願いします。プロレス担当記者としてのキャリアは34年。現在は「週刊プロレス」で顧問をさせていただいてます。

 

 

今週発売の「週刊プロレス」№1573には大森隆男さんのインタビューが掲載されています(写真)。「唯一無二のライバル」として、秋山準選手について語っているのですが、その中で「藤波さんの本に書いてあったんですよ、まずライバルを決めろって。確か『ライバルをつくれ! そして、勝て!』っていう中学のときに読んだ本に書いてありました」。

 

 

そのとき、大森さんは中学生だったのか…。その本は弊社から出た本で、私は1つ、思い出があるのです。まだ入ったばかりのころで、当時の杉山編集長に「宍倉君! この本の表紙の写真を選んでくれ」と頼まれたのです。もう光栄というか、すごくうれしかったので、覚えているのです。

 

 

たぶん、大森さんと私が並んだら、ほとんどの人は大森さんのほうがはるかに年上だと思うでしょう。だから、つい「大森さん」と呼んでしまうのです…。

 

 

別ブロックではありますが、大森さんと秋山選手が参加する全日本「チャンピオン・カーニバル」は4・8後楽園から開幕します。大森さんの試合はすべてフレッシュで楽しみですが、そのなかでもいちばんは船木選手との初対決(4・9後楽園)。大森さんがデビューした92年10月、船木選手は藤原組の東京ドームに出ていました。その2人が20年後に対戦することになろうとは…。

 

 


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