(J.Pコッサード神父の手紙より)
「私は主のみ摂理によってすべてを乗り越えることができるという信頼感を持っています
それで私は、自然的に見ると耐えられそうにもないと思われる心配、困難に取り巻かれながらも、心に平和と静けさを味わっています
このような深い平和を抱くことができるわけは、この短く悲惨な人生で何事も恐れず、また何も望まないという心を神さまから与えられたからです
それで私は神のみ前でしなければならないと思うことをするだけで、その成功も不成功もすべて神に任せています
どこにいても、なにについても、神のみ旨だけを望み、主を賛美しつつ、私は成功、不成功も心から完全に主にお任せします
なぜなら、私は信仰によって、また無数に経験したことから、何事も主から来るということ、また、主は善なる父の憐れみによって、主の愛する子どもたちのためになるようにすべてを計画しておられることを確信しているからです
主は私たちを愛するがゆえにその御命を犠牲にされ、そしてご自分の生命以上に私たちを愛してくださっていることを証明してくださったではありませんか
これほどまでのことをしてくださった主が私たちを忘れてしまわれるなどということを、どうして信じることができるでしょうか
ですから、どうか私の仕事についても心配しないでください
そして私がしようと努めていることを、あなたもやってみるようにお勧めします
私は主のみ前において、そのみ旨にかなうように仕事を計画し、その後はそれに関する配慮、成り行きをすべて主の御手に委ねてしまいます
私は信頼して、静かにその結果を待ちます
私は自分勝手な望み通りにではなく、主のみ旨のままに事が運ばれるように望んでいます
神のみ摂理は多くの場合は理解することができませんが、私たちの最善の益を考えてすべてを取り計らった居られるからです」
(コッサード神父「み旨のままに」/第一部.・第3の手紙より)