(神のはしためルイサ・ピッカレータの「天国の書」第11巻より
どうすれば愛によって自分を消耗することができるのか
(1912年5月9日)
今朝、自分がいつもの状態に気づき、どうしたら愛に身を捧げることができるのだろうかと考えていると、祝福されたイエスさまが来られて、わたしにこう言われました
「わたしの娘よ
もしあなたの意志がわたし以外の何も望まないなら、もしあなたの知性がわたしを知ること以外に何も知ろうとしないなら、もしあなたの記憶がわたし以外の何も思い出さないなら、それは魂の3つの能力が愛に消耗しているということです
それは感覚についても同じです
もしその人がわたしのことだけを話すなら、もしその人がわたしに関することだけを聞くなら、もしその人がわたしに関することだけを楽しむなら、もしその人がわたしのためだけに働き、歩くなら、もしその人の心がわたしのことだけを愛し、もしその人の願望がわたしだけを望むなら、それはその人の感覚が愛によって全うされているということなのです
わたしの娘よ
愛には甘い魅力があり、愛ではないすべてのものに対して魂を盲目にし、愛であるすべてのものに対してその人の目を釘付けにします
ですから愛する者にとっては、その人の意志がどのようなものに遭遇しようとも、それが愛によるものであるなら、その人の目は釘付けとなるのです
そうでなければ、その人は盲目となり、愚か者となり、なにもわからなくなるでしょう
舌についても同じことで、もし愛について話さなければならない時には、その言葉の中に多くの光が流れ、雄弁になるのを感じるでしょう
けれども、もしそうでない場合なら、その人は上手く話せなくなり、結局は口がきけなくなります
そしてそれ以外のすべてのことについても同じです」