実りが少なくても報いが減ることはありません | カトリックの神秘

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(聖ビルジッタの「預言と啓示の書」第4巻/「天国と地獄と煉獄、教皇の書」第31章)

 

 

御母が娘(聖ビルジッタ)に次のことを示されます

神の宣教師や神の友である人たちは、自分が正しい意図で行なった説教によって、たとえ人々が回心しなかったとしても、それは神の御目から見て、その説教によって人々が回心した時よりも報いが少なくなることはありません

 

 

(第31章)

 

神の御母が話されます

「ある人が仕事のために労働者を雇って、こう言いました

『海岸から砂を運んできて、その砂の中に金の粒(砂金)があるかどうか一粒一粒見て調べなさい』
その場合、砂の中から金が全然見つからなくても、大量に見つかっても、労働者の賃金が減ることはありません

それは神を愛するがゆえに、言葉によって、また行ないによって労苦する人たちの場合にも当てはまります

その人たちは魂たちを向上させるために働きます

そして、それによって多くの人を回心させても、まったくひとりも回心させられなくても、その人の報いは減ることはありません

 

それはちょうど、この先生が言うのと同じです

先生は言いました

『主君の命令によって出征した兵士が、勇敢に戦う意志を持ちながら、敵を捕らえることもなく、逆に負傷して負けて帰って来たとしても、その善意によって、勝利を得た時と同じような報酬を受けるでしょう』

 

神の友である人たちも同じです

神のため、魂たちの利益のために行なうことの1つ1つについて、また、神のために受ける苦しみの1分1分の時間について、それによって回心する人がいたとしてもいなかったとしても、同じ報いを得ることができるのでしょう」

 

 


 

 

 

 

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