たまに書く日記 -3ページ目

ささやかな豊かさについて

近所をのんびりと歩くことなどんかったのだが、用事があ
ってのんびりと歩く機会を得た。

慌しく生活して通り過ぎていると、なかなか気づかないこ
とが沢山あるものである。

商店街にも多くの店が増えていた。

沖縄料理の居酒屋、チェーン店ではないカフェ、定食屋、
etc・・・・。

通りがかりの公園の様子ものんびりと眺めてみた。

ふと感じることは、こんなのんびりした時間を過ごすことは
人間の営みにとっては非常に必要なことではないだろうか?

と言うことである。

そんな時間を過ごすと生命力が湧くような気がする。

例えるなら、秘湯などの静なところで湯に浸かって体と心を休
めた時のような感じである。

豊かな人生とは、何気ないところに潜んでいるのかも知れない。

おしまい。

女子アナの話

今日、ある女子アナの話をした。その女子アナの同窓生がその女子アナ
は整形していて、かなりの遊び人で、その女子アナとSEXした男を何人も
知っていると言ったような話だった。

うんざりである。

そんな話を、自慢顔で話する男など言語道断である。
うざい男である。

整形していようと、遊び人であろうとそんなことどうでもいいではないか。
今、その女子アナどのように生きているかが大事ではないか。

襟を正して一生懸命生きているかもしれないではないか?

例え、むかしと変わらないとしても、その男とどういう関係があるのだ。

僕は思う。

どのような人生であろうと、まっとうな人生などはありはしないの
だ、まっとうする人生があるのだ。

おしまい。

花粉症

目が痒い。鼻水が止まらない・・・。

絶対花粉症なんかではない。僕の体はそんなに
軟弱にできていないはず・・・・。

と思っていたが、やはり花粉症のようだ。

長いお付き合いになるのだろうが、嫌なお付き合いだ。

目を掻きすぎて、痛い。

皆さんも花粉症には、気を付けましょう。って
どうやって気をつければいいのか・・・。

おしまい。

日々思うこと

今日は、天気が良くて気持ちがよい日和だった。

普段の僕は、天気に左右されない気持ちで生活しようと
考えている。というのも、雨だから気分が滅入ると言う
のでは、人生の限られた時間を雨の日だけ損しているよ
うな気持ちになるからだ。

とかっこいいこと言ってみるが、なかなかうまくセルフ
マインドコントロールできないのが現実である。

もちろん、天気の良い日は、気持ちよく過ごそうと考え
ている。僕が言っているのは、天気の悪い日に限ってで
ある。

兎角人間と言う生き物は、外に原因を求めがちであるが、
内に原因を求めていくと、今まで見えないものが、見え
てくるように思う。

おしまい。

心に余裕を!!!

先般葬式に出て思った事がある。それは、儀式に参加する時の
人の振る舞いこそが、その人の人間としての器が計れる尺度と
なるのような気がしている・・・。

そそくさと礼をして行く人、俯きながら礼をして行く人、周りを
見ながら自信なさそうにしている人、本来の目的は、個人を偲ぶ
ものである葬儀で他人の目を気にしても仕方の無いことはないか。

態度に余裕が無いと言う事か?

人間とは、態度に余裕が無いとき、心に余裕が無いときである。
どんな時でも、心に余裕がある人間は態度も自然と落ち着きと
品があるように思う。

儀式には、格式と作法が必要である。だからこそ、人間は緊張し
本来の目的を忘れて、周りを気にするのであろうが、そんな時こそ
心に本来の目的を留めて、心に余裕を持ちたいものである。

おしまい。

考えること

最近の僕は、いつも不安と隣り合わせで暮らしている気がする。

何が不安かといえば、実態がつかめないでいる。多分僕らの世代の
人は多かれ少なかれ同じ様に感じている人が多いのではないか?

でも、そんなに不安じゃないよという人もいる。本当にそうなのか?

現実は、あまりのも世相が複雑すぎて何が不安なのか考えることは
非常につらい作業であるから考えていないだけなのではないか?

年金問題、経済、少子化、高齢化、税金、子供の教育問題、etc
言葉にするのもうんざりするような事である。

多くの人は、テレビやラジオで諸問題の概要は知っているだろう。

しかし自分で対策を考え行動できるところまで、知っている人は少
ないだろう。

なぜならマスメディアから大量に垂れ流される情報の量に対処しきれ
ずに等閑にいてしまっていたり、そこから配信される情報を鵜呑みに
してしまっていたいりするかではないだろうか?

そしていつしか自分で気づかぬ間に考える事を止め、脳死してしまっ
ているのではないだろうか?

おしまい。

最近

最近思うこと、小さなことを凄く大げさに言う人を良く見かける。
仕事にしてもそうだ。

小さな意見の相違で、本気で喧嘩している。ちゃんと話し合えば分かるのにと
思う。

でも良く考えてみれば、大した事ではない。

自分の周りで起こりうる全ての事が大した事ではないと思う。

大きな視野にたって見ることが必要なように思う。

日本経済って???

日本は、国家破綻するのか?

最近そんな事を考えている。国の税収よりも予算の方が
倍くらい多い国ってなんだ?

例えていうなら、旦那の給料は手取り月給25万なのに、
毎月の支出額は50万かかると平気で予定しているわけだ。

既に、国家の借金は700兆円を超えている。

そんな訳で、サラリーマンは多額の年金や税を納める事に
なる。しかも、今後老人大国となり税源が減少していくた
めに、更に取られることになるだろう。しかもしかも、僕
らの給料はたいして上がらないのである・・・・。

どうしたものか・・・?

最悪なのが世界的に日本の円の信用が疑われつつある。紙
幣の生命線は、市場における信用である。日本経済が世界
経済の一端として成り立つ為には、円の信用が重要である。

世の中真っ暗である。

現実を見つめず誰かが何とかしてくれると思ってしまう。
日本人の悪い癖だとおもうが、いいかげん限界かもと思う。

事が起こってから動くのと今から準備しておくのとではだい
ぶ違うと思うので、年末年始の連休は、じっくりお勉強して
おこうと思っている。

と言うことで今日はおしまい。

今日と言う日

男の子は黙ってやせ我慢するものだが・・・。

さすがにこの週末はまいっている。

母ちゃんが癌闘病をしているのだが、人間が壊れていく姿
を見守り続けるのはつらい。金曜日にまた入院した。

母ちゃんは、肝っ玉母ちゃんという言葉が良く似合う、気前
もよければ、面倒見が良い人である。ガサツな女性であるが。

そんな母ちゃんが癌だと解ってから4年である。

癌は、徐徐に人間を破壊していく・・・。医者は余命何ヶ月
などと言うが・・・・母ちゃんは良く頑張っている。

今は実際に動くことも、何も出来ない状態である。
好きな本を読んだり、カラオケでも出来ればいいが・・・。

子供にとって、いつかは親の病や死は通らなければならないも
のであろう。早いか遅いかだけである。つらいのは幾つであっ
てもつらいものであろう。

しかし、父ちゃんは凄い。母ちゃんといつも一緒にいる。僕なんか現実
逃避してしまいたい感情に襲われる・・・。

父ちゃんは、無口で全然喋らない。あまり文句も言わない人だ。
ただし、筋金入りの頑固親父である。一度いったら曲げない人である。
炊事、洗濯、掃除は全然やったことが無い。


そんな父ちゃんが、今自分で何でもやりだしている。炊事、洗濯、掃除、
その姿を見て、僕は泪が止まらなくなった。

意味なんか無い。その姿が切なくて切なくて寂しさが込上げただけだ。

晩飯を二人で飯を食べているとき父ちゃんに聞いた。

僕「母ちゃん居なくなったらどうする?」
父ちゃん「・・・・」
僕「僕と一緒に暮らすか?」
父ちゃん「・・・・」

僕もこれ以上話すのは止ようと思ったとき

父ちゃん「俺も一緒に死にてえな」

もう何も言えないと思った。

今、僕はこんなやり取りをした親父と一緒に布団を並べて寝ている。

何かの本で読んだことがある一節のを思い出した。

「人間が死を見つめるときに、生を充実させねばならないと思うの
である」と・・。

こんな冷静な事を書けるのも、横で親父は何事もなかったかのように寝てい
るからだろうか。

こんなこと書くのもどうかと思ったが、今日の父ちゃんとの事を忘れない為に。

そして、明日またやせ我慢できるように

クリスマスの過ごし方

何故か12月24日は世間が騒々しい。

僕にとっては、日常なのに世間は非日常の様である。

国民のイベントになっている。

と言う僕も、彼女がいたころは、毎月一万ずつ貯めてクリスマスプレゼントなるものをあげていた。

でも、僕は、彼女にプレゼントするのは別にクリスマスでなくても良かった。 いつでも良かったのだと思っている。

ただ、女性にとっては、男が女性に対して感謝の思いを伝える結構大事なイベントだからその日にプレゼントしていただけだ。

僕はいつも僕みたいな男を好きになってくれてアリガトウと思いながら過ごしていたので・・・いうなれば、いつもクリスマスだったわけです。

嘘のようだが、ホントの話!!

と言うことで、皆さん楽しんでください。