私がこどもろ浅蜊は買いに行かなかった

まいにちのように、荷を担いで売りに来たものだ。

河竹黙阿弥の[鼠小僧]の芝居に出て来る蜆売りの三吉のような子供が大きな笊を担いで売りに来ることもあった。

「アサリ、シジミ......」

の売り声がきこえると、祖母や母が、ほとんど笊を手にして台所から出て行ったものだ。

貝のまま入れた味噌汁や、ねぎと合わせ、酢味噌で和えたヌタなど、大人たちといっしよに、いつも食べていたが、別にうまいとは思わなかった。

だが、浅蜊のむき身を繊切りにした大根と、たっぷりの出し出汁で煮て、これを汁と共に温飯へかけ、七味トウガラシを振って、ふうふういいながら食べるのは大好きだった。

もう一つ、浅蜊飯もいい。

これは、先ず、むき身を煮出しておいて、いったん、引きあげてしまう。そして煮汁を酒、塩、醤油で味つけし、これで飯を炊く。

飯がふきあがってきたとき、出しておいた浅蜊のむき身をまぜ込み、蒸らすのである。

この二つは、いまも好きだ。

 

浅蜊売りというと江戸時代以来の風情。いやむしろ江戸時代の風情とも思えるけれど、違うんですね。昭和の下町も残っていたんですね。池波正太郎は1923年つまり大正13年の生まれ。ということは、ここに書かれている思い出は、昭和のものということになります。