全国に名の売れた、大量生産をする大メーカーの酒は、もう駄目なのだそうである。きくところにゆると、煙草と同じく、東京で消費する酒は東京付近の酒造家が作ってレッテルだけはりつけるのだそうな。

"越乃寒梅"という、幻の酒とひと頃珍重された新潟の地酒が、めっきり駄目になった由。直接に得た知識ではないが、息子の代にかわって、大量生産に切りかえたのだそうだ。

私は、舌で酒を呑みわけるほど、酒の味にくらしくない。しかし、飛びきりおいしい酒は、やっばりおいしい。

 (中略)

それはともかく、往時夢のごとく、約40年が茫々と流れてしまったが、私どもの世代が最初におぼえた酒は、例外なしに稀代の悪酒であったはずである。

私が敗戦の年に十七歳。それまで酒を口にしなかったわけではないが、手銭で、きゅっきゅっとやりだしたのはあの乱世の頃からで、酒といえばガソリン、薬用アルコール、バクダン、粕取り焼酎、ドブロク、の次第だった。いずれも強烈な臭いがして、鼻をつまみ、ひと口呑んではあわてて水を含んで口の中を洗い流すという始末だった。

 

ここにはふたつの時代の酒について書かれています。

戦後すぐの、酒がない時代の、代用品的な酒。

世の中がおちついて大分たってから、それまでの大手酒屋中心から、地方の造り酒屋に脚光が浴び始めた頃。

私は、後者の時期に酒を呑み始めたので、それ以前は知らないのですが、この間にいわゆる三倍酒の時代があるのですね。

アルコール濃度で酒税を取るために、アルコール濃度で酒を格付けした時代。日本酒をアルコールで割って、増量した時代がその間にあったわけです。味が薄くなるので、糖類等を足して味を濃くしたのだそうです。

話しとして読むのは、戦後すぐの代用品的な酒の時代が圧倒的に面白い。

ここにもその時代のことが触れられています。