男女平等という前に個人を見るべきでは | JetClipper's Bar

JetClipper's Bar

JetClipperが日頃感じている事をblogにしました。

東京生まれですが、沖縄、多摩ニュータウン、横浜、尼崎、川崎を経て、三鷹市民になりました。

私は常に性別で人を判断するべきではないと思っている。どちらが優秀かとか、どちらが良いとか、そういう事は性差ではなく個人差に帰するものだから、駄目な男性もいれば、優秀な女性もいる。その分布がどうかとか、そこまでは調査しようがないから分からないけど、少なくとも大学進学率とかそういうことで見る限り女性の方が優秀かもしれない、というのが暫定的な解と捉えてもいいかもしれない、という程度だ。
そういう点では、私は女性が正当な扱いを受けていないという主張にも賛成だし、男女の差なく仕事が出来る環境を作るという考え方は賛成し、子育てにもっと男性が関与するべきだという意見にも賛成だ。

ただし、あくまで公平かつ平等にという留保条件をつける。

結局、職場や家庭での役割分担という中では、誰がやるのが一番効率的か、という問題だろう。だから基本的に性差より個人の能力という観点で考えればよい。ところが、大体有能な人は職場でも家庭でも大抵の事は出来てしまう。団塊の世代以上の世代は別としても少なくとも戦後教育が一巡した団塊Jrあたりは家庭科の教育をきちんと受けているし、中には女性より料理が上手かったり、お菓子作りやファッションセンスも長けている男性が結構いる。女性で時に勉強ばかりしてきて家事はやったことがないという方がいるが、ある程度の能力があれば家事も事務作業も同じ。多少の時間がかかってもすぐに出来るようになってしまうだろう。

職場ではそれが給与の差だったり昇進のスピードという点で反映されるから、公正公平なシステムを作れば恐らく男女の平等は達成されるだろう。要するに評価の基準は個人の能力でしかなければ、問題がなくなるのであって、その評価がされる前に男女という性差で振り分けていた事に問題があったはずだ。

では家庭ではどうだろうか。

共稼ぎの場合、やはり男性は妻の家事の手伝いは出来るだけするべきだろう。半々とはいかなくてもお互いの得意な部分を持ち寄って進めて行けばいい。ただ、男性の方が給与が高い等家計への貢献がある時は大抵の場合勤務時間が長いというケースが多い。そういう場合は給与の低い側がどうしても家事を分担する部分が増えてしまうだろう。確かに一見すると不公平に見えるかもしれないが、家事労働というものを労働として評価し、家計への貢献というものも考えれば、そのような差があるのがむしろ公正公平だろう。

専業主婦の場合は考え方が違う。少なくとも専業主婦という立場で夫の給与だけで生活しているのならば、夫が家事に関わるのは限定的であっても仕方がないだろう。働いて所得を得てきて、その上家事労働も同じくらい分担するのであればそれは男性側に圧倒的に不公平だろう。
昨今、女性が強くなった影響なのか、子供が生まれる前の共稼ぎ時代の名残なのか分からないが、男性が家事に積極的に関わることを求める風潮がある。確かに家事労働を報酬体系として計算すれば結構な金額になる。だから全ての事を専業主婦に任せるというのは余程アッパーミドル以上の生活をしていない限り計算が合わない。だから手伝える範囲は手伝えればよいし、妻の側も夫の手伝いを正当に評価するべきなのではないだろうか。

まあ、そういう面倒な考え方をしなくても、という意見はあるだろう。でも片方に寄りかかるだけの関係というのは無理がある。そのバランスのとり方はそれぞれの個人の能力で違いがでる。だから他の家がそうだから、とか自分の親がそうだから、という理由で夫の協力が足りない、というのは間違っている。
逆に夫の側も手出ししすぎるのも良くない。家庭の経営は妻に任せて外でその分働くとか、他に出来ることをすればいい。

私は女性の権利を守る、という事には比較的熱心に取り組んできたつもりだけど、同時に男性の権利も認め、当事者間で理性ある話し合いを行い、公正公平な男女平等を実践するべきだと思う。つまりそれは性差というより個人の能力差の範囲で決まるという事ではないだろうか。