しばらくブログ更新をお休みしていました。
適応障害が重くなり中々まとまった文章を書く気力とそれを支える思考力が欠けてしまい、現在長期の休職に入って3ヵ月になったところです。
世の中では世界的な不況になっており、日本では「新自由主義や市場原理主義の終焉」だとか「中流層を復活させるような政策で昔の日本を取り戻そう」的な意見や、「所得の再分配を強化して格差是正をしよう。」という意見が溢れかえっているように感じます。またデフレスパイラルに落ち込んでいるとか、財政出動で景気回復をさせるべきだ、という15年前位にも聞いた話が復活しています。いずれにしてもワイドショー的な報道番組はセンセーショナリズムに陥りがちなので話半分で聞く習慣がついていますが、真っ当な肩書きの方から最近の経済学の知見や常識的な経済の知識も感じられない話を聞かされるのに正直うんざりしているのが私の率直な感想です。
そもそも派遣切りだとか、非正規社員と正社員の格差をマスコミは大変な問題で、経営陣や政治に責任があるかのように主張しています。でも、冷静に考えて頂きたいのですが、マスコミと呼ばれるテレビ局、新聞社はずっと前から多重の雇用階層を作り、様々な既得権益を守って利益を上げてきたと思うのですが。良く知られているように、テレビ番組は制作会社に下請けで作らせ、また孫受けの様々な業者を使っています。よく言われるADなんてテレビ局の正社員であれば先々偉くなる可能性がありますが、殆んどの場合、正社員ではなく、制作会社のスタッフで、低賃金で働いているのが現実です。テレビ局をはじめとするマスコミは自分達も同じようにというかそれ以上に下請けいじめをしている現実をきちんと報道するのが正しいことのように思うのです。本当に非正規社員と正社員の待遇を同じにしたら一番ダメージをこうむるのはメーカーの正社員ではなく、マスコミの正社員だと私は考えます。だから彼らは自分達の業界の真実については絶対認めないでしょう。
話がそれましたが、つくづく感じるのは、殆んどの人が「今の不況は構造改革等の悪い改革のつけだ。元に戻せば、昔のように一億総中流の社会になって皆が幸せになるに違いない。」と程度の差はあれ思っているような気がします。
結論から申し上げれば、絶対そのような社会に戻ることはないと断言します。
戦後の高度経済成長期は日本にとって偶然にも好条件がそろっていたように思います。常日頃申し上げていることですが簡単にまとめます。
①当時の購買力を持った(ここが大事)自由主義経済圏の人口はざっと6億人で工業製品の殆んどがこの地域の技術力がなければ作ることが出来なかった。
②日本は国土が許容できる以上の人口を持っていた為、他の国より安価な労働力を提供することが可能であり、戦争で古い設備が一掃されたので比較的新しい生産性の高い設備を使うことが可能だった。(この面はドイツも同じですが、東西に分割されたので一概には言えません)
③諸外国の通貨に比べ日本円は円安で固定されたし、円安に誘導する政策がずっと採られた。この面では強いドイツマルクを目指した西ドイツとは異なります。
④日本は戦前から科学の分野では欧米諸国に引けをとらない知的基盤があった。故に欧米のまねだと呼ばれたとしても小型化・省エネルギー化・量産化の技術で他を圧倒することが出来た。この辺はあまり語られませんが、日本が世界を相手に戦い続けることが出来たのはそういった知的基盤にあったと私は考えています。
故に日本は他の先進諸国よりも有利な条件で貿易をすることが可能になり、経済大国に成長しました。しかも自国の市場規模はEU統合前でしたからアメリカに次ぐ二位。しかも消費者の可処分所得は諸外国よりも速いペースで増えていましたから自国内だけでもかなりの市場規模を有していたので国内だけでも必要以上にメーカーや流通業が生き残ることが可能な環境にありました。
ところが、一番のターニングポイントはプラザ合意と冷戦の終結ではないでしょうか。確かにコンピュータの分野ではアメリカに遅れたかも知れませんが、ネットワークという観点では実は日本も相当進んでいたことが分かっています。インターネットではないですが、他大学から東大のネットワークにアクセスすることは可能だったと聞きますから、決して周回遅れではなかったのです。
プラザ合意は急速な円高をもたらしました。ここで金融緩和がなされた為、必要以上のマネーが国内に流通、バブルを招いたことは様々な研究で明らかにされています。
でも一番大きいのは冷戦の終結だと私は考えています。
今までの冷戦下では発展途上国がクーデターひとつでアメリカとソヴィエトの間を行き来していた現実があり、それが資源ナショナリズムと結びつき、多国籍企業の多くが発展途上国にある資産を接取された経験を持っているはずです。ところが冷戦が終わると政情不安はイデオロギーよりも国内の民族紛争や地域の国境紛争による部分になり、比較的リスクがコントロール出来る国が増えたのも事実。そういうリスクが低い国が徐々に購買力を増して自由主義経済圏は広がります。
そこに中国の開放政策が加わると、様々なリスクがあるものの工場を作り、安い人件費で工業生産を行うことが可能になってきました。極論になりますが、今まで6億しかいなかった自由主義経済圏はほぼ世界中の人口と同じになりました。
そこで問題になったのは相対的に通貨が強くなり労働コストが高くなった日本で製造するより他の国で製造して輸出する方が良い、というよりもそれをやらなければ競争に負けてしまうという現実が現れました。でもそれは一部の企業の問題に過ぎなかったように捉えられました。というのは日本の人口と購買力はまだまだ世界的にみれば一国としては大きい方で一部のグローバル化しなければならなかった企業とは違い、非常にドメスティックな企業が生き残ることが可能になってしまいました。
ところがインターネットがこの変化を加速し、バリューチェーンを徹底させた巨大企業が欧米で生まれます。こういうと、所謂時価総額経営を支える金融とインターネットのヴァーチャルな世界がそれを加速させたようになってしまいますが、一番大きかったのは物流の分野です。
以前よりも航空機や船舶での輸送が容易になり、通関業務や決済が電子化されて早くなったのが実は一番の大きな変化ではないでしょうか。
企業の巨大化、ヴァーチャルの結びつきの強化、輸送量の増大により、交易や流通に関わるコストが削減されました。今は知りませんが、日本国内をトラックで輸送するより、上海から最寄の港に送った方が安上がりだと聞いたことがあります。
ちょうど日本はバブル崩壊で価格下落が続き企業収益が悪化してきました。確かに在庫処分や利益を削っての販売という側面もありましたが、国際的な物流が良くなった為、諸外国に比べて高かったものが、諸外国における平均的な価格に収斂していくという部分が実は強かったと思います。(資産のデフレは別です。これはバブル時の価格が元に戻るという振り子の反応が行き過ぎた部分もあったということです。)
日本は輸出大国だ、と未だに信じている方が多いのですが、厳密には日本は輸出大国ではありません。資源を輸入して完成品を輸出するという三角貿易モデルはもはや日本の主流ではないのです。日本の輸出はむしろ工作機械や半製品、主要なパーツという日本でしか作れないもの、というものが実は非常に多いのです。これらは中国や韓国等に輸出され、最終的な完成品はアメリカを始めとする諸外国に流れています。だから中国の貿易黒字の一定部分は日本がなければ成立せず、アメリカの需要低迷で中国の生産が止まった結果、日本企業に打撃を与えたという構図があります。お隣の韓国はもっと悲惨です。日本から部品を買って中国の工場で作り、韓国を通過して輸出していたのですが、ウォン安で部品の調達コストが上がり、このモデルが二重の意味で崩壊してしまったのです。
そして日本の少子高齢化はもう止めることが出来ません。日本の人口は確実に減ります。つまり生産力も購買力も落ちる、と言うことです。でもこれは日本の国土にちょうどいい人口になるということも意味していると私は思うのです。
となると日本がとるべき道は過酷なようですが、世界で勝ち残れるシステムに世の中を変えるという徹底した構造改革路線だと私は考えます。日本の構造改革は不徹底で一時期の円安で本来倒産させなければならない企業が生き残り、本来生産性を上げなければならない分野で非科学的かつ非論理的かつ、不法行為またはそのすれすれの行為でやりくりし、今までのシステムを維持するようにしてきました。
でも、このシステムは過去の高度経済成長期には正しいものでしたが、今となっては通用しないシステムになってしまいました。上記の通り、日本の優位性はなくなってしまったからです。
私は自由経済を信じています。競争はルールの下に公正に行われるべきです。そういう点ではアメリカ的な法律でがんじがらめにする方法がよいのか、欧州のようにプリンシパルありきで紳士のルールとして不文律的な方法が良いのか議論の余地はあると思いますが、いずれにせよ、ルールを守れない企業は市場から退出し、出資者は経営監視の責任を取り財産を失っても、新たな産業に人材が流動できる仕組みを作る必要があると以前より強く信じています。
格差問題は別です。日本の格差は元々ある多重構造に問題があり、本当に守るべき人を守ることが出来ない法制度の問題で、所得の再分配の強化が解決策ではないと思います。きちんとした社会保障制度、貧困層を救う手立ての確立、そして一番大事なのは福祉のただ乗りを許さず、公正に運営されることだと思います。
いずれにせよ、政府が出来ることはそう多くありません。きちっとした仕組みづくり、違反者を退場させ罰する仕組み、そしてそれを公正に運営し他者の監視に耐えられる体制を作ることに尽きると思います。その一番の根幹はどうしたら国民の多くに利益を与えることが出来るかという点に尽きるのです。国民とは何か、それは生産者ではなく、消費者です。生産には全国民は関与していませんが、生きている以上、何かを消費して生きるのですから。
今の経済に関する議論はあまりに無責任すぎるものが多いように私は考えます。今考えていることを少しずつブログで更新できたらと思っているところです。