昨年の安倍総理、今年の福田総理の突然の辞任で、「政治家がひ弱になった。」という論調が散見される。
それに関しては私もそう思う部分もあるが、それを政治家個人の資質の問題にしたり、小選挙区制が原因であるとする意見には賛同できない。
私は日本の選挙民の政治に対する態度の方が政治家をひ弱にしたように感じている。また安倍氏の場合は側近に恵まれなかったという要素が多く、それがストレスとして彼のあまり強くない肉体を蝕んでしまったと私は見ているが、福田氏の場合は違う。彼はそもそも政治家になるべき人材ではなかった
二人とも所謂二世議員・三世議員になるが、世襲がいけないとは私は思っていない。残念ながら日本の一般家庭で育って国際的な視野とか政治に対する見識が育つとは思えない。二世議員や二世の官僚が出るのは、親がそういう視野や見識を普段からどれだけ話をしているかというところに出るのであって、そういう伝承を怠ればいくら二世議員でもろくなものにならない。
所謂新興富裕層は、子供に財産よりも教育や自分のノウハウを伝承することに力を注いでいるのは、そういうケースを自分が成長するときに見てきたからだろう。
その点においては、安倍氏と福田氏では状況が違う。早くから政治家になる路線を歩んだ安倍氏は、残念ながら体がついてこなかったが見識という点では平均的な政治家より上にいるはずだ。ところが福田氏の場合は政治家になるつもりがなかった上に、転進したのはかなり遅い。そもそも父親だって政治家の見識という点ではかなり疑問符がつく人物。それを考えるとたとえ伝承されていたとしてもその縮小生産物に過ぎないという見方も出来る。
政治家が選挙と言う戦争を戦うにあたり、必要なのは有権者の支持。普通、成熟した社会になれば、政治意識も高まり、政治について議論するのが当たり前の環境になる。ところが日本においてはそういう教育がなされていないから、政治について斜に構えて、どうせまともなことをしないという言い方をしていれば良しとされてしまう。その割りに自分の利害に関わると、政治家に何とかしろと言い出す。
また、世襲批判をするのならば、最終的に自分が選挙にでる、という可能性を全く考えないで主張だけするからその対応策も出てこない。
結局、選挙民の質が政治家を決めるので、選挙民の質が落ちれば政治家の質が落ちるのは当たり前。そういうときだけ政治家にスーパーマンたることを求めるのは間違っていると思う。
私は常々申し上げているように、エリート層の教育を何とかしなければこの問題は解決しないと考える。