新しい教会に行き始めて① | よっしーのブログ

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最近、小さい頃から通ってきた教会を離れて違う教会へ通い出した。


なんとこんな世界があったとは、、、!!!

衝撃すぎて。

返せよ。

あの尽くした時間、労力、金銭、心血を注いできたのに。

ここには対等さ、自由さ、選択の自由、楽しさ、平等、愛が溢れている。

こういうのが欲しかった。

ずっと求めてきたのに!

なんで神様は初めから良いものをくださらなかったのだ。

ヒエラルキーなんてない場所がよかった。

上であれ下であれどちらにとってもいいことない。

まずコミニュケーションが全然違う。

発する言葉の純度(作っていないありのまま感)、言葉のチョイス、すごすぎて泣く。

メッセージや賛美の至る所に神様の愛を感じてまた泣く。

神様と私の間に教会が挟まらない。


なんか、、、モラハラ夫から逃げてきた気分。


でも久々に以前の教会に行ってみたときに思った。

ああ、愛されてなかったわけじゃない。

これがこの人の精一杯なんだ。

この人が家庭で受けてきた「愛」での理解を、ここで実行しているだけのこと。この人の築いた家庭もまたその「愛」なのだろう。

その「愛」を受けて育ったお子さんたちは自己肯定感が低いように見える。

解放を祈らずにいられない。

本物の愛を受けてほしい。そしたら人に流せるから。教えることができるから。


新しい教会では、言ってることとやってることの一致してる感じがあって、一貫性や本物さも感じる。

そしてこうなりたいと願った。


やはり口に出さなくても非言語でのメッセージってすごく肌から吸収されている。

怠け者は悪、とかね。

うっすらみんなに浸透して、みんなうっすら苦しい。


続く