イエスは言われた。

「わたしは復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。」

 

申8:17 あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。8:18 あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである。

 

クリスチャンは、しばしの訓練の後、祝福されて繫栄します。

しかし、ねたまれないよう謙遜であるよう注意が必要です。

 

箴27:4 憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう。

 

ダリヨス王 — 3人の大臣 ― 全国に任地を持つ120人の太守。

この組織の中で、ダニエルは特に栄え、他の2人の大臣からねたまれました。

 

ダニ6:3 ときに、ダニエルは、他の大臣や太守よりも、きわだってすぐれていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからである。そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思った。6:4 大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようと努めたが、何の口実も欠点も見つけることができなかった。彼は忠実で、彼には何の怠慢も欠点も見つけられなかったからである。

 

ねたみから生じた陰謀計画は「今から三十日間、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれるという禁令」でした。

ねたみは恐ろしいサタン的な性質があり、人を蹴落として滅ぼそうとする邪悪です。   

 

マル15:10 ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。15:11 しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。15:12 そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか」と言った。15:13 すると彼らはまたも「十字架につけろ」と叫んだ。

 

イエス様の受難も大半は人間関係からの迫害です。

罪もないのに、悪人たちの誤った感情、ねたみから迫害されました。 

 

Ⅰペテ2:19 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。2:20 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

 

イエス様の受難は、裸で逃げた弟子マルコ。走って、裸でもいいからとにかく逃げたい。そんなマルコの行動に対してイエス様はどんな心境だったでしょうか。

マル14:51 ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。14:52 すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。

 

イエス様は、ひげを抜かれました。 

イザ50:6 打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。

 

偽証者が多数いました。 

マル14:55 さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える証拠をつかもうと努めたが、何も見つからなかった。14:56 イエスに対する偽証をした者は多かったが、一致しなかったのである。

 

メッセージや祈りを誤解されました。 

マタ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。27:47 すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる」と言った。


ユダの裏切りは、銀貨30枚。恥辱的な奴隷価格です。 

ルカ22:47 「イエスがまだ話をしておられるとき、群衆がやって来た。十二弟子のひとりで、ユダという者が、先頭に立っていた。ユダはイエスに口づけしようとして、みもとに近づいた。

 

違法な裁判にかけられ罪もなく敵対されました。 

ヨハ18:23「イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」

 

つば ムチ 殴る 

マタ27:30 また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。マタ26:67 「彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは、イエスを平手で打って、26:68 こう言った。「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか。」

 

着物をくじ引きされました。

ヨハ19:23-24 「さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」


犬のような外国人からの迫害もありました。 

詩22:20 「私のたましいを、剣から救い出してください。私のいのちを、犬の手から。」

 

死後に、やりで突かれました。そして、死後も悪口まで吹聴されました。

マタ27:62 さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、27:63 こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました。27:64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」27:65 ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。27:66 そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。

 

復活後もワイロで偽証が吹聴されました。 

マタ28:12 そこで、祭司長たち民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、28:13 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。28:14 もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」28:15 そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。

 

すべては私たちを救うため、受けられたイエス様の身代わりの犠牲愛でした。

 

百貨店王ジョン・ワナメーカー(十九世紀の米国人実業家・政治家)の話。

彼は、最終学歴が小学校2年生までしか出ていないため、社会人として恐れが当然でした。しかし、23歳のときに兄弟二人で始めた洋服店が、50年後には13000人が働く全米と世界一の百貨店となりました。

「私は、聖書を通して救い主であられるイエス様に出会い、神様の内で私の人生の変化を経験しました。弱くて見栄えのしない人生でしたが、私の力であり能力である神様を信頼し、このお方と共にいる時、すべての恐れは消え、何でもできるという勇気と確信を得ました。聖書を読むたびに新しいアイデアとビジョンを下さる神様を賛美します」

 

できるという思いと積極性について

第二次世界大戦の時、アメリカの大統領トルーマンは、ドイツより早く原爆を造ることを科学者たちに命じました。しかし、科学者たちの答えは「不可能」というものでした。そこで「できる」と考える科学者だけを集め、完成させたのです。これは「マンハッタン計画」と呼ばれ、その中心人物はオッペンハイマー博士です。良い事でも悪い事でもできるという人が何らかの成果を成し遂げます。

 

イエス様の積極性

Ⅰペテ2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。